巻10第34話 聖人犯后蒙国王咎成天狗語 第卅四
今は昔、震旦の□の時代に、□というところに、人里から遥かに遠く離れた深い山奥の谷に柴の庵を造り、戸を固く閉ざして人に知られることなく、長年修行をしている聖人がありました。この聖人はその修行で得た力によって、護法を用いて鉢を飛ばして食べ物を得て、水瓶を遣わして水を汲んでいました。そのため、誰が仕えているのでもありませんが、何不自由なく、思うままに暮らしていました。
あるとき、この聖人が、国王の后の容姿が記されているのを読んで、
「どのような姿であれば、このように讃められるものであろうか」と思い、たちまち会ってみたくなりました。「この世界の者には天女はない。ただ身近な所の后を見てみたいものだ」と思い続けていましたが、どうすることも出来ませんでした。
密教に伝えられた文を見ていたところ、不動尊の誓を説いている箇所がありました。「不動明王の仕者が現れ、国王の后と言えども自ら背負って来て修行者の願いを叶える」という誓願を見て、愛欲の心を抑えられなくなり、「試しに不動尊の仕者を呼び出して願ってみようか」と思い付きました。
そこで、宮伽羅(きゅうから、矜羯羅童子)という仕者がやって来て聖人と語らっていたときに、聖人は言いました。「私は長らく願っていることがあるのですが、叶えてくださいますか」
仕者は答えました。「私はもともと、『私を頼りにしている人の願うことは、必ずや叶える』という誓願があります。修行者にお仕えすることは、仏に仕えることと同じです。仏の世界に嘘偽りはありません。どのような願いであれ、私が誓願を違えることはありません」
修行者はこれを聞き、喜んで言いました。「私はもとより不動尊を深く信仰し、独り深山にて勤行してきました。他の心はありません。ところで、国王の后というお方はどのようなお姿をしておられるのでしょうか。とても見てみたいものだと思っておりますが、近頃つかえている三千人の后の中で、形貌端正なお方を、背負って来てくださいませんか」すると宮伽羅は言いました。「容易いことです。それでは明日の夜、背負って連れて参りましょう」そう約束して、帰って行きました。
その後、聖人は喜び、夜が明けるのも、日が暮れるのも遅いように思われ、仕者の言葉を聞いてからというもの、他のことなどとても考えられず、思い乱れていました。
さて、日が沈み、今か今かと待っていますと、夜が少し更けた頃、例えようもなく芳しい香りが山中に漂ってきました。「一体何があったのか」と思って柴の戸を押し開けて中に入りますと、宮伽羅が天女と見まごうばかりの女人を背負い、その場に置いて、出て行きました。聖人がこれを見ますと、金銀の玉や色とりどりの玉で身を飾り、百千の瓔珞(ようらく、ネックレス)を掛け、様々の錦の衣を纏い、たくさんの花を付けるなど、ありとあらゆる財宝で身を飾っていました。その香しい香りは他に例えることも出来ません。
震旦の后は、必ずその香りが三十六町(約3.3km)まで届いたと言いますから、狭い庵の中は、その香りで満ち満ちていたに違いありません。瓔珞が玉と触れ合う微かな響きが耳に心地よく、結い上げた髪に挿した簪(かんざし)は様々な色の瑠璃を用いて蝶や鳥を形造ってあり、その美しさは言葉を失う程です。仏の御燈明の光にこれらの玉が輝いて、后自身が光り輝いているかのごとくです。扇で顔を隠しておられる様は、まさに天女が降臨されたかのようでした。そして后の顔は、初めて月が山の端より出て来たようでしたが、思いがけずこのようなところに連れてこられて恐がっている様子はまことに哀れでもありながら、類稀に厳かで、しかも美しいものでした。
聖人はこれを見ると、心中恐れ慄き、思いも乱れました。長年続けてきた修行は消し飛び、我慢出来ません。三千人の后の中から、若く美麗な人を宮伽羅が選りすぐって背負って連れて来たのですから、他に並び立つ人もありません。仮にもっと容姿の劣る人を連れて来たとしても、聖人の目にはどう映ったでしょうか。それが、世にも類なく、国中でも並び立つ人もいないような方ですから、聖人はもはや思慮分別もなくなったかのように、后の手を取りました。后には逃れる術はありませんでした。
后は、山深く道なき所に悪夢のごとく連れてこられ、ただ呆然として泣いていました。見慣れない柴の庵に、見るからに怖ろしい姿の聖人がいるので、それだけでも怖くて堪らないのに、手までとられて、生きた心地もせず、涙が止まりません。その様子は、桜の花が雨に濡れそぼっているかのようでした。
すると聖人は、仏が如何に思し召すかと恐れながらも、積年の思いに堪えかねて、泣く泣くついに后を犯してしまいました。明け方になると宮伽羅が現れて、后を背負って連れ帰りました。その後、聖人は他のことは何も考えられず、ただこの后のことだけを思い浮かべては、恋しく思って嘆いていました。
その日の暮方に、再び宮伽羅が現れて訊きました。「昨日の后をまた連れてまいりましょうか。それとも、また別の后に会ってご覧になりますか」聖人は「昨日の方をお連れしてください」と言いました。すると前回のごとく、宮伽羅は后を背負ってやって来ました。そしてまた明け方に背負って連れ帰りました。このようにして数ヶ月が経ちました。后はいつしか身篭っていましたが、国王には三千人もの后があったため、その一人一人について必ずしもご存知ではありませんでした。
ある時、国王がこの后のところへお渡りになると、后が身篭っている様子でした。国王は后に言いました。「そなたはわしの后でありながら、他の男と通じていたのか。その相手は一体誰なのだ」后は言いました。「私は決して自ら他の男などに近付いたのではありません。さりながら、とても奇異なことが起こっているのです」国王が「何事か」と訊きますと、后は言いました。「ここ何ヶ月か、夜中になりますと十五、六歳ほどの童子が突然やって来て、私を抱え、背負って、飛ぶような速さで私をとても奥深い山の中に連れて行くのです。そこには狭苦しい柴の庵があり、見るからに恐ろしそうな聖人が待ち受けています。本当に恐ろしくつらいのですが、逃げることもできず、近付いて来たために、自然とこのような有様になってしまったのです」
国王が「どの方角へ行ったか覚えているか、またどのくらいの時間で行ったか」と問いますと、后は「どの方角なのかは全くわかりません。ただ、鳥が飛ぶよりももっと疾く飛んで行きますものの、二時間ほどかかりますことを思えば、遥か遠い場所ではないかと思われます」と答えました。そこで国王が「今夜連れて行かれるときには、手の裏に濃く墨を塗って、濡らした紙を持って行き、それをその庵の障子に押し付けよ」と命じましたので、后はその通りに用意していました。
その頃、宮伽羅が聖人のところへやって来て言いました。「今後はこのようなことはお辞めください。悪いことが起ころうとしています」しかし聖人は「どういうことになろうとも、今までのようになさってください」と聞きません。宮伽羅は「決してお恨みにならないでくださいよ」と言ってこれまでのように后を連れてきました。
后はさり気ない様子で、濡らした紙で手の裏の墨の乾いているのを湿らせて障子に押し付けました。明け方になるといつものように宮伽羅が后を背負って連れ帰りました。
その朝、国王が后に首尾を問いますと、后が「仰せの通りに手の裏の墨を押し付けてきました」と言いましたので、国王はまた后の手の裏に墨を塗り、多くの紙に押し付けさせ、多くの人々を召してその紙を与え、宣旨を下しました。「国内の、山奥深く人気のないところに住む修行者の庵を尋ね、その紙と似た手の跡がある庵を確かに見極めよ」
使者たちは宣旨を承り、四方八方の山々を尋ね、ついにあの山の聖人の庵にたどり着きました。見ると、手形があり、王から与えられた紙の手形と寸分違いません。そこで使者は戻ってきて王にこのことを申し上げました。国王はこれを聞いて言いました。「その修行者は確かにわしの后を犯した者である。その罪は重大であり、速やかに遥か遠き地に流罪とせよ」と定めたため、聖人は□というところに流罪となり、流刑地にて、嘆き悲しみ、深い恨みの心を残して死にました。そしてすぐに天狗となり、多くの天狗を従えて、天狗の王となったのです。
ところが、また一方で、この天狗に仕えるべき天狗が「あの天狗は以前国王から罰を受けて流罪にされて死んだ者だ」と言って交流しようとしませんでした。そのため、天狗の王は十万もの供の天狗たちを連れて他国に渡ったと、語り伝えられています。
【原文】
【翻訳】 昔日香
【校正】 昔日香・草野真一











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