巻12第13話 和泉国尽恵寺銅像為盗人被壊語 第十三
今は昔、聖武天皇の御代に、和泉国日根郡(大阪府泉南市など)に、一人の盗人がありました。街道のわきに住んでいて、人を殺し、人の物を盗み取ることを仕事としていました。因果応報を信ぜず、寺に入っては銅製の仏像を盗み、改鋳して帯(帯金)として売ることをなりわいとしていました。そのため、人には銅工と思われていました。
その郡に、尽恵寺という寺がありました。その寺に銅の仏の像がありましたが、この像が忽然と消えました。盗まれたにちがいないと考えられました。
ある日、路を行き過ぎる人がありました。寺の北の路を馬に乗って通ると、人の声がほのかに聞こえました。
「痛い痛い。道行く人よ、この声を聞いて、私を打つ人を諫めてください」
この人はそのときすでに馬に乗って通り過ぎていましたが、叫ぶ声を聞いて馬を返しました。すると、声がやみました。その場を離れると、また同じように声が聞こえました。近づくとやみます。怪しんで馬を止め、よく聞くと、鍛冶の音がしました。
「人を殺しているのかもしれない」
あたりを見回すと、屋がありました。ひそかに従者をやって壁の穴からのぞかせると、屋の内に銅の仏の像を仰向けにして、手足を切り落とし、錠(たがね)で首を切り落とそうとする者がありました。
従者はこれを見ると、すぐに主に報告しました。主は思いました。
「おそらく仏像を盗んで壊しているのだろう。痛いと叫ぶ声は、仏が発しているのだ」
その家に打ち入り、仏を損じる者を捉えました。子細を問うと答えました。
「尽恵寺の銅の仏像を盗んだのです」
すぐに使者を寺に遣って、ことの虚実をたしかめました。たしかに、仏像が盗まれていました。使者はつぶさに次第を伝えました。
寺の僧や檀越(檀家)は、これを聞き驚いて、集まって壊れた仏を囲み、哭き悲しみながら言いました。
「哀しく、妬ましい。私たちの大師(仏)は、どんな罪があってこのような賊難にあったのだ」
かぎりなく歎き合いました。
寺の僧たちは、たちまちに荘厳した神輿(みこし)をつくり、この破壊された仏をのせて、寺に送りました。盗人はとくに罰せずに去りました。
かの盗人を捕らえた人が、使者とともに盗人を官に送りました。官が問いただすと、盗人はつぶさに何があったかを述べました。これを聞く人は仏の霊験を貴びつつ、盗人の重罪を悪み、すみやかに獄に送りました。
しかし、仏の御身に痛みがあるものでしょうか。霊験によって声を出されたのではないでしょうか。不可思議のことであると語り伝えられています。
【原文】
【翻訳】 柴崎陽子
【校正】 柴崎陽子・草野真一

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