巻9第27話 震旦周武帝依食鶏卵至冥途受苦語 第廿七
今は昔、震旦の周(南北朝の北周)の武帝は鶏の卵を好んで食していました。食事のたびに多くの卵を食していましたから、その数ははなはだ多くなっていました。
そのころ、抜彪(ばつひょう)という監膳の儀同(食膳係)がありました。武帝に鶏卵を献じる役を務め、特に信任を得ていました。やがて隋の文帝が即位しますが、抜彪はなお監膳として、帝に鶏卵を献上していました。
開皇の代(581-600年)、抜彪はとつぜん亡くなりました。しかし、胸のあたりがまだ暖かかったので、家の人は遺体を葬らずにおりました。三日が経って、抜彪は蘇生し、語りました。
「私は帝に申したいことがございます。私を車に載せ、帝に謁見させてください。北周の武帝の冥界でのありさまを文王(隋の皇帝)に伝えたいと思います」
文王は抜彪を召しました。抜彪は申し上げました。
「死んだとき、私を呼ぶ声が聞こえました。私は声にしたがってある場所に至りました。そこには、道に深い穴があいていました。穴の中に入ろうと歩をすすめ、穴の口に至ると、はるか西の方に、百余騎が集っているのが見えました。まるで国王を守衛しているようでした。やがて、軍勢は穴の口にやってきました。見ると、周の武帝を護衛していました。
『これは私がつかえた帝だ』と思いました。
武帝はおっしゃいました。
『おまえを呼んだのは、私の状況を知ってもらい、証を立ててもらうためだ。おまえには罪はない』
そう言い終わると、武帝は穴の中に入っていきました。
私は使者にともなわれ、穴に入りました。穴の中には城郭があり、門がありました。門をとおり、庭に至りました。武帝は一人の気高い人と共に、そこに座っていました。その人をたいへんに敬っているようでした。
使者は私を帝に拝謁させました。気高い人(冥界の王)は問いました。
『おまえは武帝のために、どれほどの白団を備えたのか』
私は白団とは何かわからなかったので、左右を見回しました。そばの人が教えてくれました。
『白団とは鶏の卵のことである』
私は答えました。
『武帝が食した白団の数はとても多く、その数を記憶してはおりません』
冥界の王は武帝に言いました。
『監膳は白団の数を覚えていないようだ。すぐに別の方法で白団の数を出させる』
帝は悲しみに満ちた苦しみの表情とともに立ち上がりました。見ると、庭に鉄の床がしかれています。獄卒が数十人、現れました。みな牛の頭をしていて、身は人でした(牛頭)。恐怖におののきました。帝はたちまち連れられ、鉄の床に臥しました。獄卒は帝の前後にあり、鉄の梁(はり、柱)で帝を押しました。押されて、帝の二の脅(両わき)が割れ裂かれました。その裂けたところから、鶏の卵がこぼれ出ました。卵は鉄の床に積もっていきます。十余石はあったでしょう。冥界の王は臣に命じ、これを数えさせました。やがて、鉄の床の上の卵を数え終わると、獄卒は消えました。
帝は起き上がり、元あった玉座につきました。冥界の王は言いました。
『おまえはすぐに現世に戻れ』
私は連れ出されました。もとの穴の口にありました。
帝は私に語りました。
『おまえは帰って、私の苦を伝えてくれ。隋の天子は、昔、私とともに倉庫番をつとめていた。ともに玉帛(ぎょくはく、宝石と絹。贈り物)の準備をしたのだ。私は皇帝であったとき、仏法を禁じた。そのせいで今、大苦を受けている。私のために善根を修して(追善供養をおこなって)くれと伝えてくれ』
文帝(隋の皇帝)はこれを聞くと、かぎりなく悲しみ、天下の人に勅命をくだしました。ひとりずつ一銭を納めさせ、武帝のために追善供養をおこないました。
世を治める人は、殺生することがあってはなりません。後世の苦は堪え難いほどになると語り伝えられています。
【原文】
【翻訳】 西村由紀子
【校正】 西村由紀子・草野真一
【解説】 草野真一
中国の歴代王朝の皇帝は、幾度となく仏教排斥をおこなっている(三武一宗の廃仏)。
本話に語られる北周の武帝は、そのひとりとして名高い。儒教を推進し、道教・仏教・民間信仰を弾圧した。
文帝(楊堅)は武帝の後を継いだ息子に自分の娘を嫁がせて外戚となり、権力を掌握した。さらに、皇帝(武帝の息子)がとつぜんに亡くなると、自分の孫を周の皇帝とする。やがてみずからが即位して隋をおこした。
本話では文帝が「武帝とともに倉庫番をつとめていた」と語られているが、武帝と文帝(楊堅)の関係が深かったのは事実である。武帝は自分の跡継ぎの妃として楊堅の娘を迎えているのだから。
文帝(楊堅)は仏教を保護した。
我々はブロイラー卵が普通ですから毎日食ってもあまり家計にひびきませんが、この時代はかなり高級品だったと推察されます。











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