巻十二第四話 孝謙天皇が御斎会をはじめた話

巻十二

巻12第4話 於大極殿被行御斎会語 第四

今は昔、高野姫の天皇(孝謙天皇)と申す帝がいらっしゃいました。聖武天皇の御娘です。女性ではありますが、才たけて、文の道を極めていらっしゃいました。

その御時に、 大極殿御斎会をはじめられました。 大極殿をかざり、正月の八日より十四日まで、七日七夜続きました。昼は最勝王経(金光明経)を講じ、夜は吉祥懺悔(吉祥悔過)をおこないました。

金光明最勝王経(奈良時代 奈良国立博物館)鎮護国家の経典

最勝王経の講師には、山階寺(興福寺)の維摩会で前年講師を勤めた人を用います。聴衆や法用僧(法会の用務をつとめる僧)には諸寺のやんごとなき学生が召されました。

結願の日(最終日)には、天皇は講師および聴衆を宮の内に請じ入れ、布施を給い供養しました。また、天皇は講師を高い場所において礼拝しました。これらは最勝王経に仏が説いています。

吉祥懺悔をおこなう人は、五穀に不足せず、さまざまな願いがかなうとされています。これも同じ経に説かれています。これによって天皇は心に悟りを持ちます。国を護るため、この会は今も続いています。大臣・公卿もみな、心をつくして協力しました。

また、あるときには、天皇が大極殿に行幸なさって、この会を拝しました。これも経に説かれています。

諸国の国分寺においても、この会が同じ時におこなわれました。わが国の勝れた勤めは、多くこの会にあります。

高野姫の天皇は神護景雲二年(768年)正月の後七日に、この会をはじめられました。これを御斎会と呼ぶと語り伝えられています。

平城宮 第一次大極殿(復元)

【原文】

巻12第4話 於大極殿被行御斎会語 第四
今昔物語集 巻12第4話 於大極殿被行御斎会語 第四 今昔、高野姫の天皇と申す帝王御ましけり。聖武天皇の御娘也。女の御身に御ましけれども、御身の才有て、文の道を極てなむ御ましける。

【翻訳】 柴崎陽子

【校正】 柴崎陽子・草野真一

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