巻4第9話 天竺陀楼摩和尚行所々見僧行語 第九
(①より続く)
陀楼摩(だるま)和尚は山のふもとの人里に宿をとりました。
夜がふけたころ、叫び声が聞こえました。
「強盗だ! 強盗が私を殺そうとしている。年来貯えていた財宝は、みな奪われた。里の人よ、私を助けてください」
里の人はこれを聞くと、手に手に火をもって家から出ました。
ある者が「どこからの声だ」と問うと、誰かが答えました。
「東の林の中にいらっしゃる聖人の声だろう。そっちに行こう」
里の人は弓矢を持ち、火をともしてののしりながら向かっていきました。
「聖人が殺されるとは、どういうことだろう?」
和尚もついていきました。
見ると、林の中に、笠ほどの草庵がありました。柴の戸をひいてみると、中に八十歳は過ぎただろう老いた比丘がありました。つぎはぎだらけの貧しい袈裟以外に着るものはなく、脇息(きょうそく、肘かけ)以外に物はありません。盗人が盗るようなものはまったくありませんでした。盗人もいるようには見えません。聖人は村人が来たのを見ると、大声で泣きじめました。
人々は問いました。
「聖人の部屋には、盗人が盗るようなものは何もないではありませんか。どうして叫んだりしたのです」
聖人は答えました。
「なぜそのようなことをお聞きになるのですか。今まで一度も部屋には入ってこなかった眠りの盗人が、今朝ほど入ってきて、私の倉に貯えた七聖財(しちしょうざい、悟りを得るための七つの教え)の宝を奪おうとしたのです。とられてはならぬと、叫び声をあげたのです」 聖人は涙を流しました。
陀楼摩和尚は思いました。
「誰もが気をゆるして眠っているとき、この聖人は寝なかった。それを何十年も続けてきたのに、今、睡魔がおそった。叫ばずにはいられなかったのだ」
和尚と聖人は深いまじわりを結びました。里の人も家に戻りました。
和尚は他の里に向かいました。
林の中に一人の比丘があります。座っていたと思えば立ち、立ったと思えば走る。走ると思えば元の位置に戻り、戻ると思えば寝転んでいる。寝転んでいたと思えば立ち上がり、東に向かいます。東と思えば南、西と思えば北。笑っていたと思えば怒り、怒ったと思えばまた笑います。
「狂った人だろう」
和尚はそう思いながら。近づいて問いました。
「これはどういう意味でやっているのですか」
「生あるものは天に生まれると思えば人に生まれ、人に生まれたと思えば地獄に堕ちます。地獄に堕ちたと思えば餓鬼道に堕ち、餓鬼道に堕ちたと思えば修羅に堕ちます。修羅になったと思えば畜生の生を生きます。生きるとは、ちょうど私のふるまいのように落ち着かないものです。『心ある人は、私の様子の悪いことを見て、三界に定めがない(生きる場所が決まらない)とはどういうことか知ってほしい』と思って、長くこうして狂ったように動いているのです」
和尚は思いました。「この人はただ者ではない」 礼をして去りました。
このように和尚は各地を歩き、貴い僧のさまざまなありさまをごらんになったと語り伝えられています。
【原文】
【翻訳】
柴崎陽子
【校正】
柴崎陽子・草野真一
【協力】
草野真一
【解説】
柴崎陽子
陀楼摩和尚(達磨大師、ボーディダルマ)の話の続き。
達磨はこの後、中国(震旦)にわたりますが、これはその前、インド(天竺)にいたころの話として伝えられているものです。『今昔物語集』震旦編には、達磨が中国にわたった様子も描かれています。

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