巻4第23話 天竺大天事語 第廿三
今は昔、仏が涅槃に入って四百年たったころ、天竺の末度羅国(まとらこく、マトゥラー)に、大天(摩訶提婆、マハーデーヴァ)という人がありました。その父は商いのために大海に出て、他国へ行きました。
大天は思いました。
「この世でもっとも美しい女を妻としよう」
探しましたが得られずに家に帰ると、母はたいへん美しいことに気づきました。
「この世には、これに勝る女はない」
大天は母と結婚し、妻としました。
数か月間、母を妻としてともに住んでいましたが、父が長い航海を終え、岸に着くという報を受けました。大天は思いました。
「自分は母を妻とした。帰ってきた父がそれを知ったなら、よくは思わないだろう」
父がまだ陸に上っていないうちに、行き向かい、父を殺しました。
その後しばらく、夫妻は問題なく暮らしていましたが、大天が所用あって外出している間、母が隣家に行ってしばらく帰ってこないことがありました。大天は「これは妻(母)が隣家に行って密通しているからにちがいない」と思い、大いに怒り、母を捕え、打ち殺してしまいました。
すでに父母を殺しました。大天はこれを恥じ恐れ、もとの家を離れ、遥か遠い所に行き住んでいました。もとの国にいたころ知っていた羅漢の比丘がありましたが、これが今住んでいる所にやって来ました。大天は思いました。
「私はもとの家で父母を殺した。それを恥じ恐れたので、ここに移り住んだ。ここでは父母を殺したことを深く隠している。しかし、この羅漢はここに来た。きっと私のことを人に語ろうとするだろう。ならば、羅漢をなき者にするしかない」
大天は羅漢を殺しました。
大天は三逆罪(殺父・殺母・殺羅漢)を犯しました。(以下、原文欠)
【原文】
【翻訳】 柴崎陽子
【校正】 柴崎陽子・草野真一
【協力】 草野真一
【解説】 柴崎陽子
大天は仏教の根本分裂の一方、大衆部を起こした人物だといわれています。阿育王の師であったと伝えられ、その場合は本話の「仏が涅槃に入って四百年たったころ」は誤りである可能性が高いそうです(阿育王/アショーカ王は仏滅後百年の人と伝えられる)。
本話は中途で終わっています。腐食など物理的な欠落も考えられますが、この話の場合は「あえて」である可能性が高いそうです。
この後、大天が上座部の僧を追いやる様子が語られます。これが仏教の根本分裂を描いており、僧が上座部と大衆部にわかれた様子を伝えていることは間違いありませんが、日本には主に大衆部の仏教(大乗仏教)だけが入ってきたため、ピンとこない話であったのでしょう。
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