巻9第23話 京兆潘果抜羊舌得現報語 第廿三
今は昔、震旦(中国)の唐の時代、京兆(長安)に潘果という人がありました。武徳年間(618~626)の間に、弱冠ながら都水の小吏に任ぜられました。
役所から帰る途中、里の中の少年たち数人と共に、田の中で遊んでいました。家に帰ろうとするとき、羊飼いに置き去りにされたのでしょう、一匹の羊がひとり草を食んでおりました。
潘果は里の少年たちとともに、この羊を取つかまえて、ひそかに帰ろうとしました。道すがら、羊は鳴き声をあげました。潘果は羊の声が人に聞こえることをおそれ、羊の舌を抜いて、捨てました。羊は声をあげることができず、音なくして家に帰りました。夜になって羊を殺し、煮て食べました。
その後、一年が経ちました。潘果の舌はだんだんと欠け落ち、ついになくなりました。潘果は辞表を書き、職を辞しました。
これをきいた富平県の尉、鄭餘慶はうそではないかと疑いました。口を開けさせて見ると、まったく舌がありません。舌のあった場所には、わずかに大豆ほどのものが見えるばかりでした。あやしんで訳を問いました。潘果はかつて羊の舌を抜き捨てたことを話しました。県官(鄭餘慶)は言いました。
「おまえは重罪を犯した。こうなったのはその報いだろう。羊のために、善根を修づ(追善供養をおこなう)べきだ」。
潘果は県官の教えにしたがい、羊の追善供養をおこないました。また、五戒を受け、ひたすらに仏法を信じました。その一年後、潘果の舌は次第に生じ、もとどおりとなりました。
潘果はとても喜び、県庁をたずね、県官にこれを語りました。県官はこれ聞いてたいへんに喜び、潘果を里の正(村長)に取り立てました。
これを聞く人は現報のおそろしさを知り、また善根を積むことが善報となることを知りました。餘慶が貞観十八年(694年)に監察の御史として話したことを語り伝えています。
【原文】
【翻訳】 西村由紀子
【校正】 西村由紀子・草野真一









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