巻9第29話 震旦京兆殷安仁免冥途使語 第廿九
今は昔、震旦の唐の時代、京兆(首都、長安)に、殷安仁という人がありました。家は大いに富み、ゆたかな財宝を持っていました。以前から慈門寺の僧に奉仕していました。
義寧(617~618)のはじめごろ、安仁の家に客人が宿しました。その客人は、他人の馬を盗み、安仁の家で殺しました。馬の皮を家主の安仁に与えました。
その後、貞観三年(629)、安仁が歩いていると、ひとりの人に会いました。安仁に語りました。
「私は冥官であり、おまえを連れていく使人である。明日になったら、おまえを殺す」
安仁はこれを聞いて恐怖し、慈門寺に詣でて仏堂に坐し、泊まったまま出ませんでした。
翌日、食事のとき、三騎の騎兵と数十人の歩兵がやってきました。みな兵仗(弓矢)をもっていました。安仁が仏堂にいるのを見つけ、呼び出しました。安仁はこれに応じず、ひたすら仏に祈っていました。使者の鬼は語りました。
「昨日、安仁を捕えなかったから、今、安仁はこのように善を修している。とても捕らえられない」
一人の兵を見張りとして残し、去りました。
見張りの鬼は安仁に語りました。
「君は昔、馬を殺した。今、その馬が君を訴えている。それで我々が使者として君を捕らえようとしたのだ。いずれ、君を捕らえることになるだろう。君がそこを離れないとしても、遁れることはできない。役には立たない」
安仁は遠くから答えました。
「私は馬を殺してはいません。ただし、昔、人を我が家に泊めました。その人は他人の馬を盗み、殺しました。そして馬の皮を、私に得させたのです。私が殺したわけではありません。どうしてそのことで捕らえられるのですか。私はあなたを雇うことにします。あなたは私のために冥土の役所に戻り、馬にわけを話してください。私は馬のために善を修しましょう(追善供養をする)。これはあなたにとっても利があるのではないですか」
見張りの鬼は答えました。
「私はすみやかに役所に戻り、馬にわけを語りましょう。『この人を許せ』と言いましょう。もし許されなければ、明日、また来ることになります。もし許されたなら、私は来ません」
見張りは言い終わると去りました。
翌日、安仁は待っていました。しかし、見張りは来ませんでした。かぎりなく喜びました。
その後、安仁は馬のために追善供養をおこないました。家をあげて戒を持し、斎会(さいえ、僧を招く法事)を開いて、善根を修したと語り伝えられています。
【原文】
【翻訳】 西村由紀子
【校正】 西村由紀子・草野真一








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