巻19第35話 薬師寺最勝会勅使捕盗人語 第卅五
今は昔、薬師寺の最勝会のために、弁(べん、弁官)の源□という人が(勅使として奈良へ)下向しました。七日間の法要が終わったので、京へ帰る途中、奈良坂でのことでした。
衣櫃(こびつ、衣服などを入れる箱)持ちに衣櫃を持たせて二町(約220メートル)ほど先に行かせていると、西の谷から盗人が現れて、衣櫃持ちを谷の方へ追い込んでしまいました。
お供の者たちが言いました。
「御衣櫃を盗人が奪おうとしている。武具を身につけている者は、行って捕まえろ」
弁が言いました。
「戦うのは非常にまずい。私がその衣櫃を一つ取られたところで、何だろう。この場所で盗人と戦いなどするほうがよくない。それは武士がすべきことだ。私が『奈良坂で衣櫃を盗まれた』と言われることは、世間で話題にされても恥にならない。しかし、『奈良坂で盗人と戦いをして、射られてしまった』などと言われるのは、末代までの不名誉だ。私は源満仲や平貞盛(著名な武士)の孫ではないのだから」
弁の従者で、久□という者がありました。弁はその者に命じました。
「お前は、馬を走らせて行って、矢の届かない距離を保ち、盗人たちに言うがよい。『お前たちも生きるために、人の物を欲しがるのだろう。だが、人の情けは知っているはずだ。弁は、天皇のご命令を承り、ご祈祷の勅使として、薬師寺の法会に出席され、今、御所にお帰りになるところだ。天皇の御使いの衣櫃を奪って、お前たちに良いことはない。その道理をよく考えろ』
峰に登り、盗人たちにそう呼びかけなさい」
久□は、弁の命令を承り、馬を走らせて峰に登り、大声で呼びかけました。盗人たちは、これを聞いて言いました。
「事情を知らない新入りがやったことです。御衣櫃はすぐにお返しします」
盗人たちのほとんどは、去ってしまいました。
しかし、向かいの峰に武具を身につけ、馬に乗って立っている別の盗人がおりました。彼は叫びました。
「どうして見逃すのだ。ただちに早く追いかけて、谷の奥の方に行け」
しかし、他の盗人たちは追いませんでした。
「やんごとない方のお荷物である。仕方がない」
盗人たちは飛ぶように逃げ帰りました。
「見逃すな」と言っていた馬に乗った盗人も、仲間の盗人たちがみな、さっさと逃げてしまうので、馬を引き返して逃げようとしました。しかし、切り立った崖から、馬ごとまっさかさまに落ちてしまいました。盗人は、腰を打ち折って、立ち上がれずに倒れていました。
久□は、その場所に近寄って、やせた力弱そうな従者に、盗人の弓と胡録(やなぐい、矢を入れる筒)を奪わせ、盗人を自分の馬に引き乗せました。弓と胡録を盗人と衣櫃の前に見せしめに立て、奈良坂の北の出口に出てきました。久□は盗人を捕まえて馬に乗せ、従者に馬を引かせ、衣櫃は元の衣櫃持ちに担がせていました。
(弁は)これを見て、非常に驚き不思議に思って、「これはどういうことだ」と尋ねると、久□が言うことには、「仰せの通りに盗人たちに呼びかけますと、『もっともだ』と思ったのでしょうか、御衣櫃をお返しして、盗人たちはみな、逃げていなくなりました。ところが、この捕まえた盗人は、『見逃すな。やはり追いかけて持って行け』と指図しておりました。仲間の盗人たちがさっさと逃げてしまいましたので、この男も、『一人ではどうしようもない』とでも思ったのでしょうか、馬を引き返して逃げようとしましたところ、切り立った崖から、馬ごと転がり落ちて、腰を打ち折って、倒れておりました。そこで、近寄って、弓と胡録を奪い取り、『重い罪を犯す者は、こういう目にあうのだ』と言い聞かせて、捕まえて馬に引き乗せ、お連れしたのです」
弁は、これを聞いてとても不思議に思いました。盗人は若く、年は三十歳ぐらい、とても恐ろしげな様子です。一方、久□は七十歳になっていて、病にでもあったかフラフラしています。尼さんでさえ捕まえられそうにありません。にもかかわらず、このように恐ろしげな盗人を捕まえて来たのです。
「これは、薬師寺の三宝(仏法僧)が助けてくださったのだ」
とても貴くありがたく思いました。
「盗人は京に連れて行き、検非違使(けびいし、警察)に引き渡すべきだろう。しかし、私にとって前世からの宿敵というわけではない。罰しても無益なことだ」
弁は盗人を呼び出し、行き交う多くの人々に顔を見せ、さらし者にしました。
「こんなものを持っているから、また悪事を働き、罪を犯すのだ」
弓と胡録はばらばらに折り砕いて捨ててしまいました。盗人は馬とともに許してやりましたが、腰が動かせませんから、馬に乗ることもできず倒れているしかありません。行き交う人々はみな、盗人の顔を見て、ひどくののしり騒ぎ立てていました。
弁は盗人に言いました。
「お前は今後、このような罪を犯してはならない。通例なら京へ連れて行って検非違使に引き渡すところであるが、重い罪になるだろう。だから、許してやる」
盗人は一日中、奈良坂の入り口に倒れていましたが、夜がくると闇にまぎれ、逃げていなくなっていました。
恐ろしい盗人に遭遇したとしても、仏法僧の加護があればこのようになると語り伝えられています。
【原文】
【翻訳】 草野真一











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