巻31第21話 能登国鬼寝屋島語 第廿一
今は昔、能登(のと・現在の石川県北部)の国の沖に寝屋(ねや)という島があります。
その島では、河原に石がころがっているように無数に鮑(あわび)がとれるというので、この国に光の島という浦がありますが、その浦に住む漁師たちは、この鬼の寝屋島に渡って鮑をとり、国司に租税として差し出していました。
その光の浦から鬼の寝屋島へは、船で一日一夜の距離で人は行きます。
また、ここからさらに先に猫の島という島があります。
鬼の寝屋島からその猫の島へ渡るには、追い風を受けて走って一日一夜で渡ります。
だから、その距離を測ると、高麗(こうらい)へ渡るくらいの遠さはあるのではないでしょうか。
その猫の島へは[並たいてい]のことでは、人は行かないようです。
さて、光の浦の漁師は、その鬼の寝屋島に渡って帰って来ると、一人で一万もの鮑を国司へ差し出しました。
その上、一度に四、五十人も渡るので、その鮑の量といったら想像にあまりあります。
ところで、藤原通宗朝臣(ふじわらのみちむねのあそん)という者が能登守の任期が終わる年、その光の浦の漁師たちが鬼の寝屋島へ渡って帰り、国司に鮑を差し出したのですが、守がもっと出すようにと強要したので、漁師たちは困惑し、越後国(えちごのくに・現在の新潟県)へ渡って行ってしまいました。
そこでその光の浦には、人ひとりいなくなり、鬼の寝屋島へ渡って鮑をとることも絶えてしまいました。
されば、人があまりに欲心を起こすのは、よくないことであります。
責め立てて、一度に多くとろうとしたばかりに、後には一つもとれなくなってしまったのです。
今でも国司は、その鮑を手にすることができないので、その国の者たちは、じつにつまらないことをしたものだと、かの通宗朝臣を非難しているということだ、とこう語り伝えているということです。
【原文】
【翻訳】
柳瀬照美
【校正】
柳瀬照美・草野真一
【協力】
草野真一
【解説】
柳瀬照美
本文の舞台となった鬼の寝屋島と猫の島は、能登半島北端輪島から北へ21キロメートル沖にある七つの群島ではないかと言われている。
高麗国は、918年から1392年にあった国だが、ここでは朝鮮半島のこと。
藤原通宗は、関白太政大臣・摂政だった藤原実頼(900-970)の子孫で、周防・能登・若狭守、右衛門佐などを経て、応徳元年(1084)に没。
通宗は歌人として知られるが、都での優雅な生活が受領としての租税の厳しい取り立てによって支えられていたことがこれによって分かる。
〈『今昔物語集』関連説話〉
受領について:巻28「信濃守藤原陳忠御坂に落ち入る語第三十八」
【参考文献】
小学館 日本古典文学全集24『今昔物語集四』
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