巻4第15話 天竺舎衛国髪起長者語 第十五
今は昔、天竺の舎衛国(コーサラ国)に一人の翁がありました。八十歳にして、とても貧しい人でした。物乞いをして生きていました。
この翁に妻がありました。妻はとても髪が長く、彼女より長い髪を持つ者はありませんでした。多くの人が彼女の髪を見て惜しみました。
「あの髪を、美人につけることができたならば」
女は言っていました。
「この髪のせいで、かえって恥をかく」
長年そのようにして過ごしていた夫妻は、臥して語らいました。
「私たちは、前生でどんな業を負ったために、今こんなにも貧しいのだろう。前生で善業を積んでいないのはたしかだ。今世でまたも善業を修しなかったら、来世でも同じありさまだろう。今、少しでも善根を修しておきたい。しかし、塵ほどの貯えもなく、どうすることもできない。嘆くばかりだ」
妻が言いました。
「私は髪が長いですが、いいことはありませんでした。この髪を切って売り、それで得たお金で少しでも善根を修し、後世の貯えといたしましょう」
夫は言いました。
「おまえの今生の財産は、その髪だけではないか。この髪以外には、身を飾るものはない。どうして切ろうなどと言うのか」
妻は答えました。
「この身は無常なるものです。たとえ百歳まで生きながらえても、そのことは死んだ後に何の益にもなりません。今生はこのまま終わったってよいのです。次の世を考えると恐ろしい」
妻は髪を切りました。
髪を売って、米一斗(約18リットル、次から二斗になるが誤記か)を得て、さらに菜(おかず)二三種を具し、祇園精舎の上座の比丘の房に行って申しました。
「ここに飯二斗があります。僧供(そうぐ、僧への供養、献上物)としたいと思います」
上座の比丘はあやしみました。
「この飯はどうやって得たのか」
女は答えました。
「髪を切って売り、飯二斗と菜二三種を得たのです。この房の御弟子さまに供養したいと思います」
上座は答えました。
「この寺では、ひとつの房だけ僧供を得ることはできない。鐘をつき、多く鉢を集めて、一合(約150g)ずつでも全員に奉りなさい。私はこのことは聞いてないこととする」
上座は鐘をつき千人の鉢を集めました。
翁夫妻はこれを聞いて驚きました。
「私たちは供養をおこなったために、かえって決まりを守らないことになってしまうではありませんか。捕らえられ、責められるでしょう。どうしたらよいのですか」
「私は知らない」
そのとき、翁は妻に語りました。
「思いついたことがある。ただ一人の鉢に、この飯をみんな投げ入れて、逃げ去るんだ」
第一の鉢に飯をみな投げ入れましたが、不思議なことに、桶の飯は同じようにありました。桶の飯は減りません。
「おかしいな」と思いながら、また他の鉢に入れると、なお桶には飯があります。このようにして配るうち、三千余人の僧供をすべて配ることができました。
翁夫妻は「不思議なことだ」と思いながらも喜び、帰ろうとしました。
そのとき、他国の商人が暴風にあおられ、祇園精舎の近辺にありました。食べるものが不足し、みな餓えて消耗していました。
「祇園精舎では今日、大僧供があるといいます。私たちは餓えて力を失い、なすすべもありません。私たちの命を助けてください」
彼らは食を乞いました。飯はまだ桶にありました。
商人たちは飯を乞い得て、食し終えていいました。
「この僧供を奉った優婆塞(うばそく、在家信者)は、身分が低く貧しい人のようだ。私たちはその僧供を受けて命を助けられた。この恩に報いないことは、とても罪深いことだ」
商人たちそれぞれのお金を三つにわけ、そのひとつを翁に与えました。ある人は五十両、ある人は百両、ある人は千両(両は重量の単位)分け与えました。合わせてどれほどの金を得たのでしょうか。
翁は金を得て世に並ぶもののない長者となりました。名を髪起長者(ほっきちょうじゃ)というと語り伝えられています。
【原文】
【翻訳】 柴崎陽子
【校正】 柴崎陽子・草野真一
【協力】 草野真一
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