巻1第4話 悉達太子出城入山語 第四
(巻一第四話②より続く)
太子は跋伽(ばか)仙人の苦行林にたどりつきました。馬より降り、背をなでながら言いました。
「私はついにここまで来た。この上なく喜ばしいことだ」
さらに、車匿に告げました。
「世には、心がよくても、容貌のよくない人がいる。また、容貌がよくても、心がともなわない人もいる。おまえは心もいいし容貌もいい。私は国を捨て、この苦行林に入った。私に従って来たのはおまえだけだ。本当にありがたいと思っている。私は聖人のもとに行く。おまえは馬をつれて、城に戻れ」
車匿はこれを聞いて、地に伏して悲しみました。愛馬も同じく、太子が「帰れ」と言うのを聞いて、膝を屈し、蹄を舐めて、雨のように涙を流しました。
車匿は言いました。
「私は王の勅命に背き、太子のために馬をひき、ともに参りました。王は太子を失って、さぞかし悲しみ、困惑していることでしょう。城内は大騒ぎになっているはずです。どうして帰ることができるでしょうか。太子に捨てられたら、私に帰るべきところはないのです」
太子が言いました。
「死ぬ者があり、新たに生まれる者がある。常にともにあることができないのがこの世の定めなのだよ」
さらに車匿に向かって言いました。
「過去の諸仏も、菩提を成す(悟りを開く)ために、髪を剃り、あらゆる装飾を捨てた。今、私もそのようにしよう」
そして、宝冠の髻(もとどり)の中の明珠を抜き、車匿に与えて言いました。
「この宝冠明珠を、父上に奉ってくれ」
さらに身の瓔珞(ようらく、ネックレスやブレスレットなど)をとって、
「これを摩訶波闍(まかはじゃ、乳母)に差し上げてくれ。その他の装身具は、耶輸陀羅(やそだら、妻)に与えてくれ」
とおっしゃいました。
「おまえは私を慕う心を抱いてはならない。馬を連れて、城に戻りなさい」
車匿は嘆き悲しみ、帰ろうとはしませんでした。
太子はみずから剣をとり、髪を落としました。落ちた髪は、帝釈天が持ち去りました。虚空にある天人たちは、香をたき、花を散じて「善きかな、善きかな」と賛辞を送りました。
そのとき、浄居天が猟師となって太子の前に現れました。
太子は猟師に言いました。
「おまえが着ている衣は、寂静の衣ではないか。往時、諸仏が着られていた袈裟だ。それを着ながら、どうしておまえは殺生をして罪を成すのか」
猟師が答えます。
「私が袈裟を着ているのは、これを着ていると鹿が寄ってくるからです。私はそれを殺します」
太子が言いました。
「おまえが袈裟を着るのは、鹿をとらえて殺すためであって、解脱を求めているわけではない。ならば、私が今着ているさまざまな宝石で彩られた服をおまえにやろう。私はおまえが着ている袈裟を着て、鹿だけではなく、一切の衆生を救う修行をしよう」
これを聞き、猟師は
「わかりました」
と答え、太子の宝石の服と袈裟を取り替えました。太子は袈裟を受け取り、身につけました。
太子が袈裟を着たのを目にすると、浄居天は元の姿に戻り、光を発しながら虚空へと昇りました。
車匿はこれを見て、
「太子はもう帰るつもりはないのだ」
と思い、地に伏してさらに悲しみ、で涙しました。
太子は車匿に言いました。
「おまえは城に帰って、私の行動を伝えなさい」
車匿は泣き叫びました。馬も悲しみ涙を落としました。一人と一頭は来た道を戻っていきました。
城に戻ってこのことをつぶさに報告しました。王をはじめ、多くの人が悲しみました。
車匿は舎人(とねり、貴人の身辺の世話をする下級官吏)だと伝えられています。
(了)
【原文】
【翻訳】
草野真一
【校正】
草野真一
【協力】
草野真一
【解説】
草野真一
釈迦の出家を描いた話である。
「苦行林に入った」と書かれている。現在の北インド、ガヤー周辺といわれている。そのあたりに修行者/出家者のコミューンみたいなものがあったのだろう。
インドには、釈迦が入ったのとほぼ同じ姿で、今でも修行者/出家者のコミューンが存在する。あなたがインドを訪れるならば、おそらくは釈迦が目にしたのと同じ修行者/出家者を見ることになるだろう。(観光客相手に修行者の姿をとっている者も多いらしいが)
個人的には、これがインドという国の素晴らしいところだと思っている。
紀元前何千年からあるか知らないが、紀元前からある習俗をほぼそのまま残している国は、ほとんどないはずだ。
なぜ出家するかといえば、真理を知るためだ。
真理を求めることを人生の目的とすることを受け入れる文化が、現代にも生きているのである。
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