巻一第六話 魔がおそいかかる(釈迦伝13)

巻一

巻1第6話 天魔擬妨菩薩成道語 第六

今は昔、菩薩(やがて悟りを開く人、この場合は釈迦)が菩提樹の下で瞑想しているとき、「過去の諸仏が無上道(悟り)を達成したとき、何に座っていたのだろうか」と考えました。そして、「草の上に座るべきだ」と結論しました。

そのとき、帝釈天が人となって、清潔で軟かな草を取って来ました。
菩薩は問いました。
「あなたは誰か」
「吉祥という者です」
菩薩はこれを聞いて喜びました。
「私は不吉祥を破して吉祥となりました。ところで、あなたが手に持っている草をもらううことは可能でしょうか」
吉祥は草を菩薩にささげ、願を発しました。
「菩薩道を完成するとき、まず私をお助けください」
菩薩は草を受け取り、座として、その上に結跏趺坐(けっかふざ)しました。まるで過去の諸仏のようでした。
「もし、正覚を成さなかったら(悟りを開かなかったら)、私がこの座を立つことはない」
そう誓うと、天竜八部はみな歓喜し、虚空の諸天はこれを限りなく讃めました。

そのとき、魔が住む第六天の宮殿が振動しました。魔王は考えました。
「沙門瞿曇(しゃもんぐどん、釈迦)が五欲を捨て、樹下に端坐思惟して正覚を為そうとしている。もし、彼が道を成じて、多くの人を助ければ、私の世界にいる人もより高みを知ることになるだろう。彼がまだ未だ道を成す前に行って、それを防がねばならない」

魔王には薩陀(さった)という子がありました。彼は父のこの様子を見ていました。
「どうして歎き憂いているのですか」
王が答えます。
「沙門瞿曇が、今樹下に坐し、道を成じて、私を超えて新たな世界をつくろうとしている。私はこれを破り、乱そうと思うのだ」
魔の子はこれを叱責しました。
「菩薩は清浄であり比べる者もありません。天竜八部が守護しています。神通も智恵もあり、明らかでないということがありません。妨げてはなりません。どうぞ悪を作り咎(とが)を受けるようなことはしないでください」

魔王には三人の娘がありました。美しく端麗で、多くの天女の中でもぬきんでていました。長女を染欲(せんよく)、次女を能悦人(のうえつじん)、三女を可愛楽(かあいらく)といいました。
三人は菩薩のそばで申しました。
「あなたは徳を持ち、人にも天人にも敬われています。私たちは年ごろで美しく、比べる者がありません。父の天人が、私たちにあなたを供養するように命じました。朝に暮に仕えたいと思います」
菩薩は言いました。
「おまえたちは前世で善行を積んでいたからこそ、天人として生まれることができた。容姿は美しくとも、無常を理解していない。死んだ後は必ず三悪道の中に堕ちるであろう。私はおまえたちの奉仕を受ける気はない」

すると、この3人の天女は、たちまち老女に変わりました。髪は白くなり、顔には深い皺がきざまれ、歯が落ちて、涎を垂らしていました。腰は曲がり、腹は鼓のように大きくなっていました。杖に寄りかかって、疲れて歩くこともできません。

魔王はこれを見て、菩薩にやさしい言葉をかけました。
「もし、あなたが人間世界の喜びを受けられないなら、私たちはあなたを天上界に招待しましょう。私の天の位と五欲のすべてをあなたに与えます」
菩薩は言いました。
「おまえは先世に少々の善を修したために、今は自在天に住み、王となっている。福には期限があり、おまえはいずれ三途(三悪道)に沈むだろう。天上界にあること、五欲、それこそが罪の因なのだ。私が欲するものではない」
魔が言いました。
「私の果報(因果応報)をあなたは知っています。あなたの果報は、誰が知っているのですか」
菩薩は答えました。
「私の果報は、天地が知っている」

こう説いたとき、大地は六種に振動し、地神は蓮華を満たした七宝の瓶を地より出し、魔王に言いました。
「菩薩は以前、、頭目(ずもく)・髄脳(ずいのう)・国城・妻子等を、人々に与え、自分は何も持たずに、無上菩提を求められた。今、菩薩の邪魔をしてはならない」
魔はこれを聞き、心に怖れを成し、身の毛がよだちました。地神は、菩薩の足をかつぎ、花をふりまいて去りました。

魔王は思いました。
「今は瞿曇の心を悩乱させることはやめよう。やり方を変える。幾多の軍を集めて、力をで責め討ち取ることにしよう」
軍は虚空に満ちました。ある者は戟(げき)を取り、ある者は剣を持ち、ある者は頭に大樹を戴いていました。手に金剛杵(こんごうしょ)を持った、猪の頭の者、竜頭の者、恐ろしい形をした者も若干ありました。また、魔には姉妹がありました。長女を弥伽(みか)、次女を迦利(かり)といいます。それぞれが手に髑髏の器をもって、菩薩の御前に来て、恐ろしげな形を現じます。

仏陀に攻めかかる魔 敦煌、10世紀

多くの魔は、醜い形を現してみせ、菩薩を恐れさせようとしました。しかし、菩薩の一毛をも動かすことができませんでした。おおいに憂い、歎き悲しみました。

空を飛んでいる中に、員多という神がありました。員多は言いました、
「私は今、釈迦牟尼尊を見ると、心が安まる。怨の思いは生まれない。魔衆よ、毒心を起こし、怨心を成すことなかれ」
魔は員多の声を聞いて恥じました。おごった心・嫉妬の心を起こすのをやめ、自分の天宮に帰ったと伝えられています。

【原文】

巻1第6話 天魔擬妨菩薩成道語 第六 [やたがらすナビ]

【翻訳】
草野真一

【校正】
草野真一

【協力】
草野真一

【解説】
草野真一

The Temptation Of Buddha by Mara

釈迦の苦行はさまざまに伝えられていて、魔による妨害も伝承によってそれぞれ異なっているそうだ。

『今昔物語集』では漢訳の名前を見るだけでそうとう美人でエロい女だろうなと思える3人の娘が釈迦を誘惑し堕落させようとしている。その後は魔王みずから五欲を与える提案をしている。

もっとも、この手はあんまりいい手じゃないんじゃないかなあ、というのが自分の考えだ。

釈迦という人は、王子様だった人である。 およそ考えられる限りの贅沢は、してきた人だ。 ここにも、正妻のほかに3人の妾があったことが記されている。王子様の妾である。美人であることはもちろん技芸にも長けた人であろう。

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そういう生活を捨てて出家した人に、色じかけの効果はあるんだろうか? 欲望を満足させることに効果はあるだろうか? それらをすべてを満足させても、答えの得られない問いがあったから家を出たのではないのか。

むしろ、「ああこの手で来こられたら揺らいじゃうよなあ」と思ったのは、最初期の仏典にあるという、次のような誘惑である。

魔王が言う。

「あなたはやせていて顔色も悪い。あなたの死は近づいた。修行なんかよしなさい。生きていてこそ、さまざまなよい行いを成すこともできるのだ」

釈迦はこう答えている。

「私は悪魔の軍隊と戦い、敗れて生きるより、戦って死ぬことを選ぶ。私をこの場所から退けることなかれ。神々の軍勢も悪魔の軍隊を破り得ないが、私は知恵によって破る」

「魔」という漢字はこの話の魔(Mara)を音訳するためにできたらしい。

魔と戦う太子 パキスタン、2-3世紀

 

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