巻十七第三十二話 上総守時重、法華経を読誦して地蔵の助けを受ける

巻十七

巻17第32話 上総守時重書写法花蒙地蔵助語 第卅二

今は昔、上総守(かずさのかみ・現在の千葉県中央部の国司)藤原時重朝臣(ふじわらのときしげのあそん)という人がいました。
かの国の国司(上総国は親王任国なので、臣下の守はないが、介を守と通称)に任ぜられ、国を治め、民を安んじ、在国すでに三年に及びましたが、長年の宿願があり、「国内において、法華経一万部を読み奉ることとする」という国庁の触れ書きを出しました。

その結果、国内の山寺においても里の寺においても、すべてこの経を読み奉らぬ者は無かったのでした。
守が言うには、「読んだあとは、おのおの読んだだけの巻数を報告せよ。その際、籾(もみ)一斗を法華経一部に当てて与えることにする」と。
すると、この国や隣国の上下の僧たちはこのことを聞いて、おのおの経を読み、読み終えた巻数を捧げ持って、星のごとく数知れず国司の屋敷に集まりました。
そのうちに、巻の数が一万部に十分満ちたので、守はおおいに喜び、その年の十月をもって法会を催し、供養し奉りました。

法華経の写本 東京国立博物館蔵(法隆寺献納宝物)平安時代

その夜、守の夢に小僧が現れました。
容姿端正で、手に錫杖(しゃくじょう)を持ち、顔には喜色をたたえて近づいて来て、守に告げました。
「そなたの行った清浄な善根を、私はおおいにうれしく思う」と言って、和歌を詠みました。

一乗の みのりをあがむる 人こそは
みよの仏の 師ともなるなれ

(法華一乗の御教えを崇める人こそ、まさに三世の仏の師となるということだ)

また、

極楽の 道はしらずや 身もさらぬ
心ひとつが なおきなりけり

(極楽へ行く道といえば、この身について離れることのない心一つの正直なことであるよ)

また、

先にたつ 人のうえをば 聞き見ずや
むなしき雲の 煙とぞなる

(先立って死んでゆく人について見聞きしたことがないか、すべて虚しい雲煙となってしまうものだ)

小僧はこうおっしゃって、近寄っておいでになり、自ら左の手を伸ばして守の右の手を取り、「そなたは今後いっそうこの世の無常を観じて、後世往生のための勤めをするがよい」と、おっしゃいます。
守はこれを聞いて、泣く泣く喜び、小僧に「今、お教えくださったことは、[ことごとく]守りましょう」と申しました。
と、このような夢を見て、目が覚めました。

その後、まだ夜の明けきらぬうちに、高僧を招き集めて、夢のお告げを語りました。
これを聞いた僧たちは涙を流し、「これは地蔵菩薩の御教えなのだ」と言って、この上なく尊ぶのでした。
守はさっそく仏師を呼び、数日のうちに等身の地蔵菩薩像をお造りし、開眼供養し奉りました。
それからのちは、守の一家はみな頭を垂れ、掌を合わせて、日夜寝てもさめても地蔵菩薩に帰依し奉りました。

これを思うと、人に御利益を与えようがためには、地蔵菩薩も和歌をお詠みになるのであります。
と、聞く人はみな尊んだ、とこう語り伝えているということです。

【原文】

巻17第32話 上総守時重書写法花蒙地蔵助語 第卅二
今昔物語集 巻17第32話 上総守時重書写法花蒙地蔵助語 第卅二 今昔、上総の守藤原の時重朝臣と云ふ人有けり。彼の国の司に任じて、国を治め民みを息めて、国に有る事、既に三箇年に及ぶに、年来の宿願有て、「国の内にして、法華経一万部を読奉らむ」と云ふ庁宣を下しつ。然れば、国の内の山・寺・里に、皆此の経を読み奉らざる人無...

【翻訳】
柳瀬照美
【校正】
柳瀬照美・草野真一
【協力】
草野真一
【解説】
柳瀬照美

本話について

上総守藤原時重が法華経一万部読誦供養の夜、夢に現れた地蔵から和歌によって往生の奥義をさとされ、地蔵像を造り、供養して日夜信心した話。本話をもって地蔵霊験譚は終わる。

藤原時重について

『今昔物語集』は説話集であり、ファンタジックな物語もあるが、当時、実際にあった事件を扱ったもの、また歴史的事実を垣間見せるものも収録している。本話は、別の視点から見ると、大変興味深い事実が浮かんでくる。

この説話の主人公・藤原時重(または、時辰)は、右大臣藤原実資の日記『小右記』(道長の「望月の……」の歌が記載されている)の万寿2年(1025)11月8日に、「治国加階有り。(中略)従五位上資頼、時重等二人」とあり、治国の良吏であったことが分かる。

受領の苛政に対する反発から始まった平忠常の乱(1028-31)は平氏内部の私怨の要素も加わって泥沼化し、乱が終結した後、戦乱による焼き打ち・略奪等で、安房・上総・下総、つまり現在の千葉県全域と茨城県の一部は、「亡国(荒れ果てた国)」と朝廷へ報告された。また、相模、現在の神奈川県も戦場ではなかったものの、兵士と兵粮の供出などで疲弊していた。

平忠常の乱の討伐に向かう源頼信 (月岡芳年『 大日本名将鑑』)

上総国は乱を起こした平忠常の住国だったので特に荒れ、本来の作田数・2万2980町が18町にまで激減した。
朝廷はこれらの国を復興させるため、税の徴収を一時的にやめ、上総には能吏の時重を任じた。
参議左大弁の源経頼の日記『左経記(さけいき)』によれば、時重が上総介になったとき、作田数・50町ほどであったのが、年ごとに回復して、長元7年(1034)には1200町になったという。

時重は、法華経の読誦により、他国に逃げていた住人を帰国させ、地蔵信仰によって荒廃した人びとの心を一つにさせた、ということがこの説話から読み取れる。


〈『今昔物語集』関連説話〉 
受領について:巻28「信濃守藤原陳忠御坂に落ち入る語第三十八」
平忠常の乱:巻25「源頼信の朝臣平忠恒を責むる語第九」

【参考文献】
小学館 日本古典文学全集22『今昔物語集二』
全集 日本の歴史 第4巻 『揺れ動く貴族社会』川尻秋生著、小学館

 

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今昔物語集 現代語訳

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