巻19第36話 薬師寺舞人玉手公近値盗人存命語 第卅六
今は昔、薬師寺に、右兵衛の尉・玉手公近(たまてのきんちか)という舞人がおりました。 長年、朝廷に仕えておりました。若いころから阿弥陀仏への信仰が厚く、常に念仏を唱え、魚や鳥などの肉は一切、口にしませんでした。
あるとき、大事な用があって、公近は子とともにを連れて京へと上ることになりました。 奈良坂(京と奈良の境にある峠)を通っているとき、盗賊に襲われました。
公近親子は西の谷に追いこまれ、馬からひきずりおろされ、衣をはがれて松の木に結びつけられました。盗人は箭(矢)をつがい、親子を射ようとしました。公近は目を閉じ、念仏をとなえました。
そのとき、多くの武者が、奈良坂を越えようとしていました。
「西の谷に盗人に殺されようとしている人があるぞ!」
誰かが叫ぶのを聞き、十余騎ほどが箭をつがえ峰に走り登りました。見れば、人を木にしばりつけて射ようとしていました。東西から襲いかかると、盗人はすべてを棄てて北の谷にむかって逃げていきました。
武者はしばられている公近親子を解放しました。
「まさに射られるというとき、あなたたちが来てくれた。盗賊は射ずにすべてを棄てて逃げたのだ」
武者たちはそう言われて喜び、去っていきました。
「これは他でもない、年来、念仏を唱えていたからこそ、難をのがれることができたのだ。後世は極楽に生まれることだろう」
人々はそう言い合いました。
公近は常に念仏して、九十歳で亡くなりました。そのときの様子も作法も、極楽に行ったように見えました。一生の間、腹を立てるということがありませんでした。たいへんに貴い人でした。
たとえ盗人に会ったとしても、仏の助けがあるならば、おのずから助かると語り伝えられています。
【原文】
【翻訳】 草野真一
【解説】 草野真一
公近は「西の谷」にとらえられた。阿弥陀浄土が西方にあることに対応している。
また、公近は通りがかりの武者たちによって助けられているが、公近がいるのが西の谷であることがどうしてわかったのか、それを叫んでみなに伝えたのは誰かは述べられていない。阿弥陀仏の眷属である可能性も高い。(岩波書店『新日本古典文学大系36』解説より)










コメント