巻二第九話 砂を布施した人の話

巻二(全)

巻2第9話 舎衛城宝天比丘語 第九

今は昔、天竺の舎衛城(コーサラ国の都)に、一人の長者がありました。家は大きく富み、無量の財がありました。長者は男子をさずかりました。世に並ぶ者のない美しい子でした。

子が生まれると、天から七宝の雨が降り、家に積もり満ちました。父母はこれを見て、この上なく歓喜しました。このことから、児は「宝天」と名づけられました。成長すると仏に会う機会を得て、出家して、羅漢果を得ました(聖者になった)。

阿難(アーナンダ。仏の身のまわりの世話をした弟子)はたずねました。
「宝天比丘は、前世にどんな福業を修したために、今、富貴の家に生まれ、誕生のとき七宝の雨を降らせ、衣食に不自由なく、乏しいことがなく、やがて仏に出会い、出家して、道を得ることができたのですか」

仏は答えました。
「九十一劫(一劫は宇宙が誕生し消滅する時間)の昔、毗婆尸仏(びばしぶつ、過去七仏)の時代、多くの比丘が遊行して、ある聚落(じゅらく、集落)を訪れた。富貴な人はこぞってこの比丘たちを供養した。そのとき、ひとりの貧しい人があった。比丘を見て、歓喜の心を起こしたが、貧しいので供養すべき物は塵ほどもなかった。思い煩ったあげく、ひとにぎりの白い砂をとり、祈って比丘に散じ、心をつくして礼拝し、その場を去った。この砂で施をおこなった貧しい人が、今の宝天である。彼はこの功徳によって、それから九十一劫の間、悪趣(地獄・餓鬼・畜生)に堕ちず、誕生の折には天より七宝をの雨を降らし、家の中に積み満ちて、衣食は自然に出てきて、乏しいということがなかった。そして今、私に出会い、出家という道を得たのだ」

もし財を持たずとも、草木・瓦石であっても、実の心を抱いて、三宝(仏法僧)に供養するならば、かならず善根を得られると信ずるべきである。そう語り伝えられています。

【原文】

巻2第9話 舎衛城宝天比丘語 第(九)
今昔物語集 巻2第9話 舎衛城宝天比丘語 第(九) 今昔、天竺の舎衛城の中に、一人の長者有けり。家大きに富て、財無量成。一人の男子を生ましめたり。其の児、端正にして、世に並び無し。

【翻訳】 草野真一

巻二第八話 幸福の理由ははるか昔の生にある
巻2第8話 舎衛国金天比丘語 第八今は昔、舎衛国(コーサラ国)に一人の長者がありました。家は大きく富み、無量の財宝がありました。男の子がひとりできました。その児の身は金色で、この世に並ぶものがないほど美しい子でした。父母はこれを喜...

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