巻20第4話 祭天狗僧参内裏現被追語 第四
今は昔、円融院の天皇(円融天皇)が長らくわずらっていらっしゃったので、さまざまな御祈祷が修せられました。物の怪(もののけ)によるものと思われたので、験があると名高い僧を一人のこらず召して、祈祷をお願いしましたが、効果がありません。
ある人が天皇に申し上げました。
「東大寺の南に、高山という山があります。その山に、仏道を修行して、久しく住する聖人があるそうです。修行の年功が積もって、加持祈祷の力によって野に走る獣を止め、空飛ぶ鳥を落とすといいます。彼を召して、加持させれば、きっと験あることと思います」
天皇はこれを聞くと、すぐに召すよう命じました。使いをやって召しますと参りました。奈良から宇治までは、空から様々の花を降らせて参り、多くの人がこれを貴びましたが、宇治より北には、花が降ることはありませんでした。
参内して加持すると、時間はほとんどかからず、天皇の病はかき消えるように癒えました。
すでに宮中には何人もの高貴な僧侶が召されていました。広沢の寛朝僧正は五壇の御修法(不動明王を中心とした五大明王に祈祷する修法、それぞれの明王に五人の僧が祈る)をおこないました、5人の高貴な僧が召されて祈祷をおこなっていまたが、なんの験もありません。
しかし、例の高山の僧は、ほとんど時間もかけずに験をあらわしてしまったのです。
誰もがおかしなことだと考えました。5人の僧のうち、金剛夜叉明王には余慶僧正が当たっていましたが、彼が中壇の僧正(広沢の寛朝僧正)に申しました。
「私たちは仏を信仰し、法を修行してずいぶんになります。全員が心をあわせ、毎日祈祷しているというのに、なんの験も現れませんでした。にもかかわらず、かの法師は、たいした時間もかけず帝の病を治癒してしまったのです。いったいあの法師は誰でしょう。どうして験が現れたのでしょう。彼の祈祷の力が私たち5人の力を合わせた以上に強いとは思えません。また、かりに力が勝っていたとしても、即座に霊験が現れるのはおかしいと思います」
そこで5人は、この法師の居る所に向かって、心を合わせ祈祷しました。高山の僧は几帳の奥にいました。高貴な僧侶たちが念じると、僧のいる几帳の内から、ばたりばたりと音がします。
「なんの音だ」
にわかに清涼殿の内に、犬の糞のニオイが満ちました。とても臭かったので、勤めている人が「これはどうしたことだ」と叫んでいます。例の加持をする高貴な僧侶たちは「やはりなにかあるにちがいない」と思い、ますます心を合わせ、年来の行をもって念じつづけました。
すると、帳の中にあった法師は、外にあおむけに倒れました。上達部・殿上人(家来たち)はこれを見て、「何があったのだ」と怪しんでいます。天皇も驚きました。
法師は投げ伏せられ、打ち責められて言いました。
「助けてください。命をとらないでください。私は年来、高山に住し、天狗を祭り、『人々に貴ばれますように』と祈っていました。その甲斐あって、このたび召されることになりました。このような目にあうのも道理というものでしょう。大いに懲りました。助けてください」
大声で叫んだので、貴い僧侶たちは、「そんなことだろうと思った」と言い合って、大いに喜びました。
天皇はこれを聞き、
「すみやかに捕えて、獄に入れよ」とおっしゃいましたが、後で
「解放してやれ」
と命を改めました。
法師はおおいに喜んで、逃げ失せました。このさまを見た人は、あるいは笑い、あるいは憎みました。帝の病を治癒してみせたときには、仏のように貴ばれましたが、追い出されるときは、あわれなものでした。
このように、天狗などを祭った者は、一時は霊験があったように見えるけれども、いずれはその正体が明らかになります。加持祈祷によってその真の姿を暴いた人を、世の人は尊敬し、貴びました。
その後、この法師がどうしたのか、知る人はありません。高山には天狗を祭った跡が今でも残っていると伝えられています。
【原文】
【翻訳】
草野真一
【解説】
草野真一
仏教(密教)の僧侶がエライという結論になっているが、天皇の病を治癒したのは醜態をさらしたと述べられている「天狗を祭る宗教」のほうだったことに注目したい。
『新日本古典文学大系 36 今昔物語集 4』(岩波書店)の解説は「天狗を祭る宗教」とは当時興隆しつつあった修験道、ないしは新興宗教としている。
「奈良から宇治までは、空から様々の花を降らせ」たが、宇治より北には降らせられなかったのは、結界が宇治にあったことを示している。
コメント