巻二十八第二十七話 伊豆守小野五友の目代の話

巻二十八

巻28第27話 伊豆守小野五友目代語 第廿七

今は昔、小野五友(おののいつとも・正しくは、小野五倫)という者がいました。長年、外記(げき)を勤めた功労で伊豆守(いずのかみ)になりました。

これが伊豆守として任国にいたときのこと、あいにく目代(もくだい・国司の補佐をし、不在のときは政務を代行する地方事務官)がいなかったので、あちこち「目代に使うべき者はいないか」と求めさせていると、ある人が、「駿河国(するがのくに・静岡県中央部)に、なかなか頭がよく、事務の才があり、文字の上手な者がいます」と告げました。
これを聞いた守は、「それはたいそうよさそうな話だ」と言って、わざわざ使いをやって呼び迎えました。
守が見ると、年は六十くらいの男で、たいそう太って、いかにも裕福そうに見えました。
笑顔ひとつ見せず、苦虫を噛みつぶしたような顔をしているので、これを見た守は、「心はわからぬが、まず見た目は目代として、うってつけのようだ。風采といい、言葉遣いといい、なかなか頼もしそうな様子だ」と思い、「どのくらい字は書けるか」と書かせてみたところ、筆跡はさほど達筆ではなかったけれど、さらさらと書き流して、目代の筆としては十分であります。

「事務の腕は、どれくらいか」と思って、込み入った租税の書類を取り出し、「この収入はいくらになるか、計算してみよ」と言うと、この男はその文書を手に取り、開いてちょっと見て、算木(さんぎ・和算で用いる計算用具)を取り出し、いともたやすく置き並べ、すぐに、「これこれでございます」と答えたので、守は、「心まではわからぬが、まず事務能力は相当なものだ」と喜んで、その後は、国の目代として、万事をまかせ、身辺から離さず使うようになったのですが、二年ほど経っても、少しも守の機嫌を損ねる様子は見えません。
ただ、すべてのことをきちんとぬかりなく処置していました。
他の者が処理に手間取っていたことも、即座に手早く処理し、常に余裕を持って悠々としています。
このように万事に賢かったので、守は、「少しでも余禄を与えてやろう」と思って、任国内の余禄を得やすそうな適当な土地を何か所か預けて治めさせたのですが、そのためにこの男がさほど余禄にあずかったとも見えませんでした。
そこで、国司の館の同僚たちにも在地の人びとにもひどく信用され、重く用いられていました。
そういうわけで、隣国にまで有能な男として評判になっていました。

ところがあるとき、この目代が守の前に坐って、たくさんの文書を取り広げ、また守が何通もの通達書を書かせ、それに印を押させていると、たまたま傀儡子(くぐつ・人形回し)の一行が大勢、館にやってきて、守の前に並んで歌をうたい、笛を吹き、おもしろく囃し立てます。
守はこれを聞いて、我ながらなんとなくひどく心が浮き立って、おもしろくなりましたが、ふとこの目代の印を押している手元を見れば、それまではたいそう神妙に押していたのに、この傀儡子たちの吹き歌う拍子に合わせて、三拍子に印を押しています。
これを見た守は、おかしなことだと思いながら見守っていると、目代は太って恰幅の良い肩まで三拍子にゆすっています。
傀儡子たちはこの様子を見て、一段と力を入れて歌い吹き、叩き、急テンポで歌い囃します。
そのときこの目代は、太い塩辛声を張り上げ、傀儡子の歌に加わって歌い出しました。

西宮傀儡師(傀儡子)。摂津名所図会(18世紀)より。

守は驚き、「いったいどうしたことか」と思っていると、目代は印を押しながら、「昔のことが忘れられずに」と言って、にわかに立ち上がり、走り出て踊り始めたので、傀儡子たちはますます歌い囃しました。
館の者たちは、この様子を見て、わいわいと笑い興じたので、目代は恥じて印を投げ捨て、走って逃げて行きました。
守は不思議に思い、傀儡子たちに、「これはいったいどうしたことだ」と問うと、「この人は昔、若い頃、傀儡子をしておりました。それが文字を書き、書物を読んで、今は傀儡子もいたさず、かように出世して、この国の御目代になっていると承り、『もしや昔の心が失せずにいるのではないか』と存じまして、じつを申せば、かように御前にまかり出まして囃してみたのでございます」と言ったので、守は、「そういえば、印を押し、肩をゆする様子は、まことにそのように見えたぞ」と答えました。
館の者たちは、この目代が立ち上がり、走り出て舞い出したのを見て、「傀儡子たちが吹いたり、歌い舞ったりしたのがおもしろくて矢も楯もたまらず、立ち上がって舞い出したのだろう。それにしても、こんなものをおもしろがるような気配もなかった人なのに」などと思い、いぶかしげに話し合っていましたが、傀儡子たちが、こういうのを聞いて、「そうか。この人はもと傀儡子をしていたのか」と知ったのでした。

その後は、館の人も国の人も、この目代を傀儡子目代(くぐつもくだい)とあだ名をつけて笑い合いました。
評判は前より少し落ちましたが、守は哀れに思い、以前のように使ってやりました。
されば、一国の目代にもなり、昔のことは忘れてしまっていたのですが、やはりもとの心が失せず、このようなことをしたのでしょう。

これは、傀儡神というものが心を狂わしたのであろうと人は言いあった、とこう語り伝えているということです。

【原文】

巻28第27話 伊豆守小野五友目代語 第廿七
今昔物語集 巻28第27話 伊豆守小野五友目代語 第廿七 今昔、小野の五友と云ふ者有けり。外記の巡にて、伊豆の守に成たりけり。 其れが伊豆の守にて国に有ける間、目代(めしろ)の無かりければ、「東西に目代に仕るべき者や有る」と求めさせけるに、人有て云く、駿河の国になむ、才賢く弁へ有て、手など吉く書く者は有」と告げけ...

【翻訳】
柳瀬照美
【校正】
柳瀬照美・草野真一
【協力】
草野真一
【解説】
柳瀬照美

この話について

受領国司の補佐、そして代理人となる目代は、国衙行政のさまざまな部署を統括するために、事務処理能力に長けた人物が求められる。
本話は、伊豆守・小野五倫の目代になった能吏の前身が傀儡子(くぐつし)であったことがばれてしまったという話。

傀儡子は、集団で各地を漂泊し、男は狩猟、人形回しや曲芸、幻術などを演じ、女は歌をうたい、売春も行った。
蔑視されており、優秀な目代の「声望がやや落ちた」というのは当時の階級意識ゆえのことだろう。

傀儡子 - Wikipedia

下級官人の昇進について

天皇や摂関・一の上、つまり左大臣(摂関を兼任している場合は、右大臣)に最終的な任命権があるが、自分勝手に決められたわけではなく、律令制では位階に見合う官職が与えられた。
国司になるのに、特別なコースがあったわけではないのだが、平安時代・十世紀以降には受領になるためには、一定の資格やコースを経るようになる。
五位以上は勅授(ちょくじゅ)といって、天皇の意志によるので、特に規則はないが、六位以下から五位へ昇進できるかは、実質上、氏の格によって決まっていた。
六位官人が従五位下になるのを「叙爵(じょしゃく)」といい、平安時代には、特定の官職において毎年一人ずつ叙する「巡爵(じゅんしゃく)」の制度ができる。従五位上以上への昇階を加階(かかい)といって、特定の官職を一定の年限勤めると、加階される「年労」の制度もできた。
受領になる者は、受領功過定(ずりょうこうかさだめ)という公卿たちの評価を経た者が再任される「旧吏」と蔵人・式部丞・民部丞・検非違使・外記・史の官職を勤めた人が巡爵で五位となり、順次、受領に任ぜられた「新吏」がいる。

本話の傀儡子目代の主・小野五倫は長保3年(1001)7月、権少外記になり、長保6年(1004)に大外記、同年10月に五位に叙爵されていて、新吏として伊豆守に任ぜられたのは、一条・三条天皇の寛弘年間のことだと思われる。
ただ五倫は旧吏とはならなかったようで、摂津源氏の祖・源頼光が伊予守になったとき、自身はその目代となっている。


〈『今昔物語集』関連説話〉
受領について:巻28「信濃守藤原陳忠御坂に落ち入る語第三十八」
源頼光:巻25「春宮の大進源頼光の朝臣狐を射る語第六」


【参考文献】
小学館 日本古典文学全集24『今昔物語集四』
日本の歴史 第06巻『道長と宮廷社会』大津透著、講談社

巻二十八
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今昔物語集 現代語訳

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