巻4第12話 羅漢比丘教国王太子死語 第十二
今は昔、天竺に小国がありました。その国では神のみを信じて、仏法を信じませんでした。
国王には、一人の皇子がありました。王は他に子がありませんでしたから、皇子をまるで宝石を愛でるように愛しました。十余歳になったころ、皇子は重病にかかりました。さまざまな治療をこころみましたが、癒えることはありませんでした。陰陽をもって祈りましたが、効果はありませんでした。このことを王は昼も夜も歎き悲しみました。年月がたつうち、皇子の病はますます重くなりました。
国王はこれを思いわずらいました。太古より崇め祭っている神のもとに詣で、みずから祈り請いました。多くの財宝を運ばせて山をつくり、いけにえの馬・牛・羊等を谷をうずめるほどに積み上げ、「太子の病を治癒してください」と祈りました。宮司や巫(かんなぎ)はこれらを受け取り、飽きるほど贅沢を楽しみました。
それでも太子の病は治癒せず、なすべきこともなく絶望しているとき、一人の神官が託宣を得ました。
「御子の病は、国王が宮に戻るころ平癒します。太子に国をゆずれば、民も安心し、世も平らかで、天下・国内、みなが喜ぶことでしょう」
国王はこれを聞いておおいに喜びました。感に堪えず、帯びた太刀を神官に給い、さらに財を与えました。
王が宮に戻る途上、一人の比丘(僧)に出会いました。王は比丘を見てたずねました。
「あれはどういう人だ。すがたも変わっている。衣も人と違っている」
「あれは、沙門(しゃもん、修行者)です。仏の弟子です。頭を剃った者です」
「ならば、あの人は物知りにちがいない」
輿をとめ、「あの沙門をここへ召せ」と命じました。
国王は沙門に言いました。
「私に一人の太子がある。月ごろ、身に病があり、医(くすし)の力もおよばず、祈祷も効果がない。生き死にも定まらぬ状態だ。この子はどうなるのだろうか」
沙門は答えました。
「太子はお亡くなりになるでしょう。助けようとしても、力がおよびません。王の魂(宿縁)のゆえです。王が宮に帰るのを待たず、お亡くなりになります」
国王は言いました。
「二人の言うことはまるでちがっているではないか。どちらが真実を語っているのだ。神官は『病は癒える。百歳に余るほど生きる』と言ったが、この沙門は異なることを言っている」
沙門が申しました。
「それは、片時、王を安心させるため、知らぬ事を言ったのです。世の人がこうだったらいいなと願っていることを言ったにすぎません」
王は宮に帰ると、いそぎ太子の容態をお聞きになりました。
宮の者は、「昨日、太子はお亡くなりになりました」と答えました。
国王は「ゆめゆめこのことを言うではないぞ」と言って、神託をした神官を召すため使者を遣わしました。二日ほどたって、神官がやってきました。王は言いました。
「太子の病は未だ治癒していない。何があったのだ。不審に思って召したのだ」
神官は託宣を申しました。
「なぜ私を疑うのですか。私は『人々をはぐくみ哀れんで、憂いを取り除きたい』とまるで父母のように思っています。まして、国王が苦しんでおっしゃることを、軽んじたりはしません。私は虚言を申しているのではありません。もし、虚言だったならば、私を崇めるのをやめてください。私の巫を貴ばないでください」
口からでまかせにそう言いました。
国王は彼の言葉をよく聞いた後、彼を捕らえて言いました。
「おまえたちは年来、人をだましている。はかりごとによって、人の財をほしいままに取り、神託だと言って、国王から民にいたるまで、心をとろかし、人の物を計り取っている。大盗人だ。すみやかにその首を落とし、命を断つ」
そう言って神官を死刑にしました。さらに、軍を派遣して、神殿を壊し、大河に流しました。神殿につとめている宮司も、上の者も下の者も、多くの人の首を落としました。長く人の物を計り取った神殿の貯えは、みななくなりました。
その後、かの沙門を召すように申しつけました。国王はみずから出迎え、宮の内に請じ入れ、高い床に座っていただき、礼拝して申しました。
「私は長く神人たちに計られ、仏法を知らず、比丘を敬いませんでした。今日からは、このような者たちの言うことを信じません」
比丘は王のために法を説きました。国王はもちろん民衆も、これを聞いて貴び礼を尽くしました。寺を建造し、塔をたて、この比丘をすえました。寺には多くの比丘がを集まり、これを供養しました。
ところで、この寺に不思議なことがあります。仏像の上に、すばらしい宝で荘厳された天蓋がありました。天蓋はとても大きなものでしたが、人がこの寺に入って仏の周囲をまわると、その人に随って天蓋もまわります。人が止まると、天蓋も止まりました。人々はなぜかわかりませんでした。
「仏の不思議な力によるものだろうか。あるいは、これをつくった職工の、みごとな細工によるものだろうか」
そう言い合いました。
この国王以来、その国に巫が絶えることはなかったと語り伝えられています。
【原文】
【翻訳】 柴崎陽子
【校正】 柴崎陽子・草野真一
【協力】 草野真一
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