巻4第39話 末田地阿羅漢造弥勒語 第卅九
今は昔、北天竺の烏仗那国(うじょうなこく)の達麗羅川(だりらせん)に、寺がありました。金色に輝く十丈(30メートル)ほどの弥勒菩薩の木像がありました。仏が涅槃に入った(亡くなった)後に、末田地大阿羅漢(までんじだいあらかん、大阿羅漢=聖者)という人がつくったものです。
羅漢はこの像に向って申しました。
「釈迦大師は滅後の弟子たちを、みな弥勒に託しました。彼らは弥勒が出世するとき、三会(さんね、説法の会)に出席し、解脱を得るだろうといわれています。彼らは釈迦の遺法の中にある『南無』と念じながら衆生に食を施した人たちです。しかし、弥勒は今、兜率天(とそつてん)にあるといいます。衆生(一般の人々)は、どうやって弥勒に会えばいいのでしょうか。私がつくった像は、弥勒の真の姿には似てはいません。私は神通力を得て兜率天に昇り、弥勒の姿をじっくりと見て、像をつくり直したいと思います」
弥勒は末田地に告げました。
「私は天眼をもって三千大千世界(すべての世界)を見ている。私が像をつくる者があればその助けとなり、悪趣に堕ちないようにするだろう。私が成道するときには、その像の導きによって、私のところに来るだろう」
また、こうも言いました。
「おまえは釈迦の正法が終わった後でも、私の形像をつくり、私のもとに来たいと言った。素晴らしいことだ」
そのとき、この像は虚空に昇り、光を放ち、偈(韻文の経)を説きました。聞く者はみな涙を流して歓喜し、三乗(羅漢のさとり)を得たと伝えられています。
【原文】
【翻訳】
阿部裕子
【校正】
阿部裕子・草野真一
【協力】
草野真一
【解説】
阿部裕子
玄奘の『大唐西域記』にある話。
烏仗那国は現在のパキスタン辺にあった国、達麗羅川はその都だという。末田地大阿羅漢は阿難(釈迦の身のまわりの世話などをした弟子)の弟子、つまり釈迦の孫弟子にあたる人だが、始祖の入滅よりはやく入信ができず、説法を聞くことができなかった。
弥勒は釈迦入滅後、五十六億七千万年後に姿をあらわし、釈迦の救いにもれた人々を救済する「未来の仏」である。それまでは兜率天という別世界にある。
五十六億七千万年なんてとんでもない先で(なにしろ釈迦が亡くなってからまだ2500年程度しか経ってないんだから!)普通の人は耐えられない。
どうすればいいんだ。この話はその疑問への答えになっている。
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