巻一第十一話 食を乞うた釈迦が門前払いされた話

巻一

巻1第11話 仏入婆羅門城乞食給語 第十一

今は昔、仏は婆羅門の都に入り、乞食(こつじき、托鉢)しようとしました。そのとき、この都の外道(仏教以外の宗教を奉じる者)が考えました。
「狗曇比丘(ぐどんびく、釈尊)という者がこの町で乞食している。憎らしく、おもしろくない。とはいえ、もとは貴人の生まれだ。浄飯王の子だったのだから、王位を継ぐべきなのに、狂ったんだろう、出家し苦行林に入り、成道したという。仏陀になった(さとりを開いた)と言っているが、あざむかれ、だまされる者も多い。絶対に食を与え供養したりしないようにしよう」
外道たちはそういいあわせ、「もし、この誓いを破る者があれば、国外追放である」とふれまわりました。
これより後、仏がいらっしゃっても、あらゆる家は門をきっちりと閉め、入れようとはしませんでした。ある家では、声をかけても答えず、仏はしばらく門前に立っておりました。「来るな」と言って追いたてる家もありました。

仏は日が高くなっても、供養を受けられませんでした。からの鉢を胸に抱き、ひどく疲れた様子で去っていくのを、ある女が見ていました。女は、米のとぎ汁の、何日か経って腐ったのを棄てるため、外に出てきていたのです。
彼女は仏がなんの供養も受けられず去っていくのを見て、悲しく思いました。
「何かさしあげたい」
そう思いましたが、貧しいために何も供養することができません。
「どうすればいいんだろう」
涙を浮かべる様子を、仏は見ていました。
「何を悲しんでいるのか」
女は答えました。
「日が高くなっているというのに、仏が供養を受けずに帰られるのを見て、『供養したい』と考えたのですが、貧しいために、さしあげるものがありません。それが悲しくて、涙を流していたのです」
仏はおっしゃいました。
「おまえが持っている桶には、何が入っている」
女は答えました。
「腐った米のとぎ汁です。捨てに行くのです」
仏はおっしゃいました。
「それを供養としなさい。米のにおいがする。よいものだよ」
女は汁を仏の鉢に入れながら言いました。
「これはとても異様なものです。供養するようなものではありませんが、仰せに随います」
仏はこれを受け、鉢を呪願して言いました、
「おまえはこの功徳によって、天上に生まれれば?利天(とうりてん)の王となるだろう。人界に生まれれば国王となるだろう。これは限りない供養だ」

その様子を、外道が高楼で眺めていました。仏が家々を追われ、日が高くなるまで供養を受けられず、疲れきって帰ろうとしたことも、女が棄てようとした腐った汁を受けて、これを呪願したことも。外道は仏に言いました。
「なぜ虚言をもって人を欺くのだ。供養にはならないような腐った汁を乞い得て、『天に生まれるだろう』とか『王になるだろう』とか、ウソばかりではないか」
仏は答えていいました。
「おまえは高堅樹の実を見たことがあるか」
「ある」
「大きさはどのぐらいだった」
「芥子(あくた)よりも小さい」
仏は問いました。
「高堅樹の木はどうだ」
「とてつもなく大きい。枝の下に五百の車を隠して、それでも木の影が余るほどだ」
「そのことをもって知るべきだ。芥子よりも小さい種から生まれた木が、五百の車を隠しても影が余るほど大きくなる。仏を供養することの功徳は無量だ。現世においてさえ、その功徳は計り知れない。来世のことはこれによって知るべきである」

如来立像、ガンダーラ2~3世紀(東京国立博物館)

外道はこれを聞くと、「貴い」と感じました。仏を礼拝するとき、自然に頭髪が落ちて羅漢(聖者)になりました。女も次の世の予言を聞いて、礼拝して立ち去ったと語り伝えられています。

【原文】

巻1第11話 仏入婆羅門城乞食給語 第十一 [やたがらすナビ]

【翻訳】
草野真一

【校正】
草野真一

【協力】
草野真一

【解説】
草野真一

中国には、「敏感詞」と呼ばれる言葉があります。「習近平」「天安門事件」「毛沢東」などがその代表的なもので、中国の人はこれらの言葉をネットや電話では決して使いません。「見られている」「聞かれている」が前提だからです。

中国の人はたいへんだなあ、日本は自由でいいなあと思ったアナタ。
太平楽でよござんすなあ。

敏感詞は日本にもあります。
しかも、不当に敏感詞になっている言葉がとても多いのです。

たとえばここで釈尊の行動として描かれている「乞食」、これ、敏感詞です。対になる言葉は「供養」。おしゃかさまがされていたことを表すたいへんありがたい言葉なんですが、使っちゃいけないことになっています。
すくなくとも、テレビや新聞、雑誌などのマスメディアでは基本的に扱うことはできません。私が目をとおしたこの話の現代語訳(紙の本)も、べつの言葉に言いかえてありました。

使用を禁じる法律があるわけではありません。
いわゆる「忖度」で使えないのです。
いったい誰に忖度してんですかね。

文中の高堅樹とは、地中に百年埋まっていて、発芽すると一日でたちまちに大きくなる想像上の樹です。

また、現代は精米法が格段に進歩しているので、昔の「とぎ汁」と今のそれはだいぶ違うのだとか。昔のとぎ汁の方が格段に栄養価が高く、ゆえに腐りやすかったのでしょう。

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