巻11第32話 田村将軍始建清水寺語 第卅二
今は昔、大和国高市の郡八多の郷(奈良県高市郡高鳥町)に、小島山寺(子嶋寺)という寺がありました。その寺に賢心という僧がありました。報恩大師という人の弟子です。ひたすら聖の道を求め、苦行を怠ることはありませんでした。
あるとき、賢心の夢に人があらわれて告げました。
「南を去り、北におもむけ」
夢から覚めた後、北に向かおうと考えました。
「新しい京(長岡京と思われる)を見よう」
淀川に至って、金色の水が一筋、流れているのを見ました。ただし、賢心だけが見ることができて、他の人には見えませんでした。
「これは自分のために瑞相(吉兆)を見せてくれているにちがいない」
水源をたずねて行くことにしました。
東の山に入りました。山は昼なお暗く峻厳でした。山の中に滝がありました(音羽の滝)。朽木を踏んで歩き、滝の下に至りました。杖をもって独り立って見ると、心深く染みて、雑念はすべて消え去りました。
滝の西の岸の上に、草庵がありました。一人の俗(僧ではない)が住んでいました。年老いて髪が白く、七十余歳でした。賢心は俗に問いました。
「あなたはどういう方ですか。何年ここに住んでいるのですか。名前を教えてください」
「行叡といいます。姓を明かすのは許してください。ここに住んで二百年になります。ずっとあなたが来るのを待っていましたが、あなたは来ませんでした。今日来てくれたのを幸いに思い、大いに喜んでいます。私は観音の力を念じ、常に千手の真言(千手陀羅尼)をとなえ、ここに隠れ住んで多くの年を経ました。私は東国で修行したいと考えています。すみやかに行きたいと考えています。私にかわり、ここに住んでくださいませんか。この草庵の地は、堂を建てるべき地です。前にひろがる林は、観音像をつくる料とすべき木です。私が帰ってくるのが遅かったならば、かならずかわりにこの願を遂げてください」
言うか言わないうちに、翁は掻き消えるようにいなくなりました。
賢心は不思議なこともあるものだと考え、ここは霊地であると知りました。帰ろうとして、もと来た道を探しましたが、見つけることはできませんでした。空を仰いで見ましたが、東西を知ることもできません。どういうことなのか翁に問いたいと考えましたが、すでにいなくなっていました。かぎりなく恐れ多く思いました。心を発し、真言を誦して観音を念じ奉りました。
やがて日が暮れてきて、泊まるべき場所を探し歩きました。樹の下に至り、観音を念じました。夜が明けても、帰るべき道はわからず、そのまま樹の下に居りました。食物はありませんでしたが、谷の水を飲んでいれば、餓えることはありませんでした。毎日翁を待ちましたが、現れませんでした。恋い悲しむ心に堪えられぬまま、山の東を探すと、東の峰に翁の履物が落ちていました。これをみつけて、賢心が恋い悲しみました。泣き叫ぶ声は山に満ちました。こうして、三年が過ぎました。
(②に続く)
【原文】
【翻訳】 柴崎陽子
【校正】 柴崎陽子・草野真一
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