巻11第36話 修行僧明練始建信貴山語 第卅六
今は昔、仏道を修行する僧がありました。名を明練(命蓮)といいます。常陸の国(茨城県)の人です。心に深く仏の道を願って、故郷の国を捨て、霊験で名高い地を転々として修行するうち、大和国(奈良県)に入りました。
□郡の東の高い山の峰に登って見ると、西の山の東面にそって、小山がありました。その山の上を五色の不思議な雲が覆っています。明練は思いました。
「あの山は霊験殊勝の地にちがいない」
雲を注(しるし)に尋ね行きました。
山の麓(ふもと)に至りました。人跡はありませんでしたが、草を分け、木につかまって登っていっても、山の上になおあの雲がたなびいていました。頂きに登りついて見ると、東西南北は峻厳な谷になって落ちています。
五色の雲は、ある峰を覆っていました。
「どういうことだろう」
いぶかってそこに近づくと、雲は見えなくなりました。ただかぐわしい香のかおりだけが山に満ちています。明練はいよいよ不思議に思って、香の源を探してみましたが、木の葉が多く積もっているばかりで、地面も見えません。突き出ているのは岩石ばかりです。
積もった木の葉をかきわけると、木の葉と岩のはざまに石の櫃(ひつ)がありました。
櫃のすがたは、この世のものではありませんでした。櫃の面の塵を払うと、銘がありました。「護世大悲多聞天(ごぜだいひたもんてん、多聞天は毘沙門天の別称)」とあります。かぎりなく貴く、心に響きました。
「この櫃がここにあったからこそ、五色の雲が覆い、妙香が漂っていたのだ」
雨のように涙を落とし、泣きながら礼拝しました。
「私は長いこと仏の道を修行し、さまざまな場所に行ったけれども、このような霊験の地に出会ったことはない。今ここに来て、希有の瑞相を見て、多聞天の利益(りやく)を得たのだ。私はもう他の地へ行くべきではない。ここで仏道を修行して、命を終ろう」
すぐに柴を折り、庵をつくり、そこに住みました。また、人を集めて、櫃の上に堂をつくりました。大和(奈良)・河内(大阪)の両国の人は、これを聞き継いで、それぞれ堂の建造に協力し、ようやく成りました。
明練が庵に住して修行する間、世の人はこれを貴んで訪ねました。人がないときは、鉢を飛ばして食を継ぎ、瓶を飛ばして水を汲んだので、乏しいことはありませんでした。
今の信貴山とはこれです。霊験あらたかで、供養の後は今に至るまで、多くの僧がやってきて房舎を造り重ね住みました。諸国より、首を垂れて参詣する人が多くあると語り伝えられています。
【原文】
【翻訳】 柴崎陽子
【校正】 柴崎陽子・草野真一
【解説】 草野真一
奈良県と大阪府にまたがる生駒山地の信貴山朝護孫子寺の由来を語る。
『宇治拾遺物語』に異伝がある。
「信貴山縁起」は「鳥獣人物戯画」とともに日本の漫画文化のルーツとされる平安後期の絵巻物である。エピソードは『宇治拾遺物語』とほぼ同じものになっている。本話の最後に軽くふれられている飛鉢・飛瓶の話は縁起および『宇治拾遺物語』で多く語られている。


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