巻20第22話 紀伊国名草郡人造悪業受牛身語 第廿二
今は昔、紀伊国の名草の郡三上の村(和歌山県和歌山市)に、寺を建造し、薬王寺と名づけました。寄進を求めて多くの医薬を購入し、寺に置いて、人々にほどこしました。
聖武天皇の御代に、薬の材料(白米と思われる)を、岡田の村主(すぐり、人名)の姑の家に与えました。その家の主はそれを酒にして人に与え、代金をとって得ようとしていました。そのころ、斑のある小牛がやってきて、薬王寺の境内に入り、塔の下に臥すようになりました。寺の人はこれを追い出しましたが、また帰ってきて、去ろうとはしません。人はこれを怪しみ、「これはどこの家の牛か」と、多くの人にたずねましたが、一人として、「私の牛です」という人はありません。寺の人はこれを捕え、繋いで飼いました。牛はやがて成長して、寺の雑役に使われるようになりました。
やがて、五年が経ちました。そのころ、寺の檀越(檀家)の岡田の石人(いわひと、人名)という人の夢に、この牛があらわれました。牛は石人を追い。角で突き倒し、足で踏みつけようとしました。石人が恐れ迷って叫ぶと、牛が問いました。
「おまえは俺を知っているか」
「知らない」
牛は離れ退いて膝をかがめ、地に臥して、涙を流して言いました。
「私は桜村の物部麿(もののべまろ)である。私は前世に、この寺の薬の材料である酒二斗(約36リットル)を貸用して、それを返すことなく死んだ。その後、牛の身で生まれ、それを償って寺で使われている。期限は八年である。今、すでに五年が過ぎた。残り三年だ。寺の人は哀れみの心がなく、私の背を打ってこきつかっている。これがはなはだ痛いだ。おまえが檀越でなかったなら、私を哀れんではくれないだろう。だから私は示したのだ」
石人は問いました。
「示したというが、その実否はたしかめようがないではないか」
「桜村の大娘(長女)に聞いて、虚実を知るといい」
その大娘というのは、酒造を仕事にする石人の妹でした。
このような夢を見て、目覚めてから大いに驚き怪しみ、妹の家に行って、この夢のことを語りました。妹はこれを聞いて言いました。
「この話は本当です。その人はたしかに、酒二斗を貸用し、返すことなく亡くなりました」
石人はこれを聞くと、多くの人に語りました。寺の僧、浄達は、ために誦経を行いました。
八年経つと、牛はいなくなりました。誰もゆくえを知らず、見かけた者もありませんでした。不思議なことでした。
人の物を借用したなら、必ず返すべきです。まして、仏寺の物は、大いに恐れるべきです。後の世に畜生と生まれ、償うことになります。まったく益のないことだと語り伝えられています。
【原文】
【翻訳】 草野真一
コメント