巻二十第四十話 軽蔑し馬から下りずに施しをした話

巻二十(全)

巻20第40話 義紹院不知化人被返施悔語 第四十

今は昔、義紹院という僧がありました。元興寺(奈良県奈良市)のやんごとなき学生(がくしょう)でした。

あるとき、京から元興寺に行くことがありました。冬だったのでとても寒く、泉川原(泉川、奈良県奈良市)の風がたいへん強く吹いていました。夜立の杜のあたりを通ったとき、墓のかげに、藁薦(藁で編んだ筵)というものを腰に巻き、うつぶせに臥している法師がありました。義紹院はこれを見て、遺体と思い、馬を引いて通り過ぎようとしましたが、よく見ると動いています。義紹院は
「そこに臥しているのは何者か」と問いました。

すると、息もたえだえに「乞丐(かたゐ、乞食)でございます」と答える声がします。
「寒いか」
「こごえかじかんで、何も考えられません」
義紹はあわれんで、着ていた衣一枚を脱ぎ、馬に乗ったまま投げました。衣は乞丐にかかりました。
「これを着るがよい」
乞丐は立ち上がり、顔にかかった衣をとってかなぐり捨て、義紹に投げ返しました。衣は義紹の顔にかかりました。

「何をする」
義紹が言うと、乞丐は答えました。
「人に物を施すなら、馬からおりて一礼して施すべきだ。馬に乗ったまま施されたようなものを、誰が受けるものか」
掻き消えるようにいなくなりました。

義紹は悟りました。
「これは只者ではない。化人(仏神の化身)がいらっしゃったにちがいない」
悲しく思い、急ぎ馬より下りて、投げ返された衣をささげて、乞丐のいたところを泣きながら礼拝しましたが、もはやどうしようもありませんでした。日が暮れるまでるまで思い入り、その場にありましたが、答えはありませんでした。馬を引きながら、十町(約1キロ)ばかりは徒歩で歩いて、悔い悲しみました。
「乞丐であっても蔑んではならない」
後に義紹はそう語ったといいます。

やんごとない智者であっても、このような過ちを犯します。愚痴なる者はなおさらこのようなことがあるでしょう。然れば、乞丐をも敬うべきである。そう語り伝えられています。

平城京の元興寺の模型(奈良市役所、1/1000模型)

【原文】

巻20第40話 義紹院不知化人被返施悔語 第四十
今昔物語集 巻20第40話 義紹院不知化人被返施悔語 第四十 今昔、義紹院と云ふ僧有けり。元興寺の僧とて、止事無き学生也。 其れが京より元興寺に行けるに、冬の此也。泉川原の風、極て気悪く吹て、寒き事限無し。夜立の杜の程に行けるに、墓の隠れに、藁薦と云ふ物を腰に巻て、低(うつぶ)し臥せる法師有り。義紹院、此れを見て...

【翻訳】 草野真一

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