巻二十五十四話 後三年の役(欠話)

巻二十五(全)

巻25第14話 源義家朝臣罸清原武衡等語 第十四(欠文)

【解説】 柳瀬照美

本話は表題だけをとどめる。
表題から、後三年の役の顛末を記す予定だったもの。
これによって、頼信・頼義・義家と清和源氏の嫡流の武功が代を追って列記されることになるはずだった。

『後三年の役』とは、奥羽の清原家衡・武衡と一族の真衡らとの間の戦乱で、永保3年(1083)から寛治元年(1087)に起きた。
清原氏の内紛に陸奥守の源義家が介入。義家は激戦の末に清原氏を滅ぼしたが、朝廷は義家の私戦として恩賞を与えず、義家は私財を功のあった郎等たちに分け与えた。
戦地で苦難を共にしたこと、恩賞がなくとも自分に従った武士には褒賞を与えたこと、これらによって、義家と坂東武士たちの主従関係の絆はますます強固なものになった。
一方、安陪氏・清原氏のいなくなった奥州では、安陪氏の血を引き、清原氏のもとで育った、藤原秀郷の末裔・清衡が遺領を受け継ぎ、陸奥出羽押領使に任名されて、奥羽全域の軍事的支配者となり、奥州藤原氏繁栄の基礎を築いた。

後三年合戦絵巻

これが欠話になった理由として、後三年の役ついては依るべき資料が見当たらなかったため、表題だけを掲げ、本文については後日、記すつもりだったのが、補填されずに終わったと推測されている。

院政期に起きた保元の乱・平治の乱の記載がなく、後三年の役の終結が寛治元年(1087)12月だったことから、本話の存在は『今昔物語集』の成立年時を推定する上で重視された。

現在、成立したのは、平安時代末期の12世紀初め。院政時代の保安元年(1120)、白河院・鳥羽天皇の治世の頃ではないかと言われている。

巻二十五第十三話 前九年の役(その1)
巻25第13話 源頼義朝臣罸安陪貞任等語 第十三今は昔、後冷泉院(ごれいぜいいん・後朱雀天皇の第一皇子で、母は藤原道長の娘・嬉子)の御代に、奥州六郡(胆沢・和賀・江刺・稗貫・斯波・岩手)の内に安陪頼良(あべのよりよし)という者がいました...
巻二十五第十三話 前九年の役(その2)
巻25第13話 源頼義朝臣罸安陪貞任等語 第十三(巻二十五第十三話より続く)その後、守は兵を休息させようと、あえて追撃しませんでした。また、長雨のため、十八日間ここに留まりました。その間、兵粮が底を尽き、食べ物がなくなりました。守は多...

【参考文献】
小学館 日本古典文学全集23『今昔物語集三』

(巻二十五 了)

【協力】ゆかり・草野真一

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