巻25第4話 平維茂郎等被殺語 第四
今は昔、上総守(かずさのかみ・現在の千葉県中央の国司)平兼忠(たいらのかねただ)という者がいました。
これは平貞盛(たいらのさだもり)という武人の弟の繁茂(しげもち・正しくは繁盛)の子であります。
その兼忠が上総守で、その国に住んでいた時のこと、余五将軍(よごのしょうぐん)維茂(これもち)という者はこの兼忠の子で、陸奥国(むつのくに・現在の東北地方)に住んでいたので、上総国にいる父・兼忠のもとに、「長らくお目にかかりませんでしたが、父上がこのように上総守になって下られたので、お祝いかたがた参上いたします」と、言ってよこしたところ、兼忠も喜んで用意を整え、「いまかいまか」と待っていると、館の者が「はやご到着されました」と言って騒ぎ出しました。
ちょうどそのとき、兼忠は風邪気味で外出できず、簾の内で横になり、親しく出入りさせて使っている少年の侍に腰を叩かせていましたが、そこへ維茂がやってきました。
前の広縁に坐り、長年の無沙汰の挨拶などしましたが、維茂の郎等の中のおもだった者、四、五人ほどは弓矢を背にして前の庭に居並んでいました。
その第一にすわっている者は、通称、太郎介(たろうのすけ)といい、年は五十余り、大柄で肥え、髭は長く、眼光炯炯として、威厳があって周囲を圧倒し、怖ろしげです。
見るからに頼もしい武者と思われます。
兼忠はこれを見て、この腰を叩いている男に、「あれを見知っておるか」と問えば、男は知らないと答えます。
兼忠が、「あれは、おまえの父を先年殺した者だぞ。そのとき、おまえはまだ幼かったから、知らないのは当然だ」と言うと、男は、「『父は人に殺された』と人は申しますが、だれが殺したとも知りませんでしたのに、こうして顔がわかりましたからは」と、思いがこみあげ、言葉がとぎれ、目に涙を浮かべて立ち去りました。
維茂は父の饗宴で食事などをし、日も暮れたので、寝所になっている別室のほうへ行きました。
太郎介も主人を送り届けてから、自分の宿所へ行きました。
そこにも彼の身の回りの世話をする者たちがいたので、さまざまに食物・果物・酒・秣(まぐさ)・干し草などを持ち込んで大騒ぎをしていました。
ちょうど九月の末ごろのことで月はなく、庭が暗いので、あちこちに松明が立ててあります。
太郎介は食事を終え、くつろいで安眠しました。
枕元には、新しく鍛えた太刀を置き、かたわらに弓・胡簶(やなぐい・矢入れ)・鎧・兜が置いてあります。
庭には郎等たちが弓矢を背にして、そちらこちらを見回りながら、主人を警固しています。太郎介の寝所には、布の大幕を二重ほど引きめぐらしてあるから、矢など通りそうもありません。
庭に立てた松明の光が、昼のように明るく、郎等たちが油断なく見回りを続けているので、なんの恐れもあろうはずがないのです。
太郎介は長い道中にすっかり疲れ、酒をしたたかに飲んで気を許して寝てしまいました。
さて守が、「おまえの親は、あの男が殺した」と告げたのを聞いた男は、目に涙を浮かべて立ち去ったので、守は、「別にどういうこともなく、ただ出て行ったまでのことだろう」と思っていたところ、男はそこから台所の方へ行き、短刀の切っ先を繰り返し繰り返し念入りに研ぎ、それを懐中にしのばせて、暗くなる頃、この太郎介の宿所に行き、大胆不敵にも様子をうかがっていましたが、やがて食べ物などを持ち運んで忙しげに行き来している者たちにまぎれて、何食わぬ顔で盆に食べ物を載せて運ぶように見せかけて、引き回してある幕と壁の間に身を潜ませました。
心の中で、「親の仇を討つのは、天がお許しになることだ。私は今夜、亡き父への供養のために企てたことですから、なにとぞ望み通りに成就させてくださいますように」と祈念してうずくまっていましたが、一人として気づく者はいません。
夜もしだいにふけ、太郎介が□□らして寝ているのを知っている男は、そっと忍び寄り、喉笛をかき切るや、闇にまぎれて飛び出しましたが、だれ一人、気がつきませんでした。
夜が明けて、朝になっても太郎介がなかなか起きてこないので、郎等が朝粥をすすめようとして、それを告げに部屋へ入って見ると、血みどろになって死んでいます。
郎等はこれを見て、「これはどうしたことだ」と言って叫ぶと、郎等たちのある者は矢をつがえ、ある者は太刀を抜いて走り騒ぎましたが、何の甲斐がありましょうや。
とにかく、誰が殺したのかわからず、郎等以外に親しく側に寄った者もいないので、郎等の中に、「身に覚えのある者がいるだろう」と、互いに疑い合ってみたものの、まったくどうにもなりません。
「あさましい死にざまをされたご主人だ。どうして声一つたてずにむざむざ殺されなさったものか。『こんな口惜しい死に方をなさろう』とは思いもよらず、長年、いつもお側に仕えて、ひたすら忠勤を励んで御意にかなってきた。運が尽きなさったとはいいながら、勇者に似合わぬ情けない死にざまをなさったことだ」と、東国なまりの声で、口々に喚きあい大騒ぎをしています。
そのうち、維茂がこれを聞きつけて、大いに驚き騒ぎ、「これは、わしの恥だ。わしに遠慮のある者なら、太郎介を殺すはずがない。少しのはばかる心もないから、こんなことをするのだ。とりわけ、時と場合がまったく気にくわぬ。我が領国でやられたのなら、まだいい。かような知らぬ他国に来て、かかる目に会うとは何とも悔しいことだ。もともと、この太郎介は先年、人を殺したことがある男だ。その殺された者の子が小侍として、ここの殿の許にいるということだ。そのような男が殺したに違いあるまい」など言って、館に出かけて行きました。
守の前に行って維茂が言うには、「我が供に従っていた某を、昨夜だれかが殺しました。かような旅先でこのような目に遭いましたは、この維茂のえらい恥でございます。これは余人の仕業ではございませぬ。先年、はからずも馬に乗ったまま前を横切った無礼を咎めて射殺した男の息子である小侍が殿の許に仕えておるはず。定めてそれの仕業でござりましょう。『それを召して問いただそう』と思っております」と。
守はこれを聞き、「たしかに考えるまでもなく、そやつのしたことだろう。昨日、そこもとの供をしてあの男が庭におったが、ちょうどその折、腰が痛かったので、その小侍に腰を叩かせながら、『あの男を知っておるか』と訊くと、知らぬと答えたから、『おまえの父は、あの男に殺されたのだぞ。そういう者の顔は見知っておくがよい。あの男はおまえを何とも思っておるまいが、親の仇を知らぬのも情けないことだからな』と言ってやったところ、伏し目になり、そっと立っていったが、その後、いまだに顔を見せぬ。わしのそばを離れることなく夜昼仕えているやつが、昨日の夕暮れから見えぬのは怪しい。また、さらに疑わしいのは、昨夜、台所で刀をえらく研いでおった。これも今朝、下男どもが怪しんで話していたのを聞いたのだ。いったい、そこもとが、『召して問いただそう』というは、もしまことにあの男の仕業なら、そいつを殺すおつもりか。それを聞いた上で、ここへ呼び、お引き渡しいたそう。この兼忠は卑しい者ではあるが、賢明でおわすそこもとの父である。ところで、もしこの兼忠を殺した人間を、そこもとのご家来衆がかように殺した場合、それをこのように咎め怒る者があったとすれば、そこもとは良いことと思われるかな。親の仇を討つは、天がお許しになることではないのか。そこもとが立派な武人でおわせばこそ、この兼忠を殺した者は、『よもや安穏ではおられまい』とわしは思っていた。それを、こうして親の仇を討った者を、この兼忠に食い下がって引き渡しを強要なさるとなれば、わしが死んでも仇討さえしてくださらぬとみゆる」と大声で言い放ち、座を立ったので、維茂は「まずいことを言った」と思い、かしこまって、そっと立ち去りました。
そして「仕方がないことだ」と諦め、もとの陸奥国へ帰って行きました。
かの太郎介の遺骸は、この郎等たちが皆で後始末をしました。
その後、三日ほどして、太郎介を殺した男が黒い喪服を着て姿を現し、守の前に人目を忍んで恐る恐る出て来たので、守をはじめとしてこれを見た同僚は皆、涙を流しました。
それ以後、この男は人に一目置かれ、なかなかの者と思われるようになりましたが、ほどなく病にかかり、死んでしまったので、守もたいそう不憫に思いました。
されば、親の仇討ちは、剛勇の士といえども、成し遂げがたいことであります。
それを、この男は事もあろうに、たった一人で、あれほど多くの従者が油断なく警固している者を、望み通りに討つことができたのは、まことに天のお許しがあったからだろうと、人びとは褒め称えた、とこう語り伝えているということです。
【原文】
【翻訳】 柳瀬照美
【校正】 柳瀬照美・草野真一
【協力】 草野真一
【解説】 柳瀬照美
平兼忠に仕えていた年少の侍が剛勇無双の武士を討ち、見事に亡き父の仇討を遂げた話。
寛平・延喜にかけて、すなわち宇多・醍醐天皇の治世の頃、東国では群盗が蜂起し、その鎮圧のために押領使が置かれた。鎮圧の責任を負わされた受領は、押領使にそれを委任し、その押領使になった人びとが『武士』の始祖とも言われる。
名を挙げれば、平高望、藤原利仁、藤原秀郷。英雄伝説を持つこの三人に加え、源仕、高向(小野)利春がそうであるという。
この中で、藤原秀郷は承平の乱で平将門を、甥の平貞盛と共に討った乱平定の勲功者である。
本話に登場する平兼忠は、貞盛の異母弟・繁盛の子。
『武士』創生期とも言うべきこの時期すでに、「馬に乗ったまま前をよぎるのは無礼」、「親の仇討は天がお許しになったこと」という、幕末まで続く武士の間での規範がすでに生まれていたことが、本話から分かる。
平国香の次男の繁盛は、若年より藤原師輔に仕え、将門誅伐にも功があったが、恩賞にもれたという。晩年、金泥大般若経600巻を書写して延暦寺に納めた。官は常陸大掾、陸奥守を勤める。
平兼忠は、繁盛の子で藤原道長に仕える。従五位上が極官で、出羽守、上総介を勤めた。
平維茂は、『今昔物語集』では兼忠の子とされているが、『尊卑分脈』では繁盛の子で、兼忠の弟。
伯父・貞盛の養子で十五男となったことで、余五と称される。
従五位上、信濃守、鎮守府将軍。余五将軍と号し、源信僧都に帰依して八十歳で没する。
維茂は史実よりも伝説の登場人物として知られ、戸隠の『鬼女紅葉伝説』、夫人が身を投げたという新潟の阿賀野川にまつわる『御前ヶ鼻』が有名である。
〈『今昔物語集』関連説話〉
平維茂:巻25「平維茂藤原諸任を罰つ語第五」
平貞盛:巻29「平貞盛の朝臣法師の家に於いて盗人を射取る語第五」、巻29「丹波守平貞盛児干を取る語第二十五」
【参考文献】
小学館 日本古典文学全集23『今昔物語集三』
日本の歴史 第07巻『武士の成長と院政』下向井龍彦著、講談社
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