巻六第六話 殺されかかった三蔵法師の話③

巻六

巻6第6話 玄奘三蔵渡天竺伝法帰来語 第六

より続く)

法師はそこ(ナーランダの僧院)を出て、尊い霊場を巡礼し、さらに他国へ趣くために、恒伽河(ガンジス川)に至りました。八十余人とともに船に乗り、川を下りました。川の両岸は密林であり、無数の草木が生い茂っていました。

ガンジス川デルタにあるスンダルバンス国立公園(世界遺産)

にわかに林の中から、十余隻の船が出て来ました。当初どんな船かはわかりませんでしたが、賊の船でした。数人の賊が法師の乗った船にうつり、人を打ち、衣服を剥ぎ、珍宝を探しました。

賊は突伽天神(とつかてんじん、パールヴァティー)に仕え、秋がくるたびに形貌美麗な人を求め、殺し、その血肉を天神に祠って福を祈っていました。法師が端正で美しいのを見て、賊たちは喜んで言いました。
「天神を祠る時節が過ぎたというのに、俺たちは適当な人を見つけることができなかった。この沙門(僧)は端正で美しい。これを殺して祠ろう。いい考えではないか」

パールヴァティー

法師はこれを聞くと、賊に言いました。
「私の身は穢悪であり、命を奪われても惜しむものではありません。しかし、私が遠い国より来たのは、(釈尊が悟りを開いた)菩提樹や、(説法した)耆闍崛山(ぎじゃくっせん、霊鷲山)を礼拝し、国に伝わっていない経法を請けるためです。これは未だ遂げられていません。私を殺すのは、善ではありません」
同じ船に乗り合わせた多くの人がこれを聞いて、「彼を免してください」と乞いました。

釈尊が悟りを開いたと伝えられるブッダガヤの菩提樹

しかし、賊は許しませんでした。賊は人を遣り、水をくみ、林の中に泥で祭壇を築きました。その後、二人の人がやってきて刀を抜きました。法師を引っ立てて祭壇に上らせ、殺そうとしました。法師はいささかも恐れた気色を示しませんでした。賊たちはこれを見て、奇異なことだと思いました。法師は賊が殺そうとするのを見て言いました。
「願わくは、少し時間をください。その間は殺さないでください」
賊はこれを許しました。

法師は一心に兜率天の慈氏菩薩(弥勒)を念じました。
「私は今殺されます。死んだ後はそこに生まれ、恭敬供養いたします。法を聞いたならすぐにこの世に下り、この賊たちを教化いたします」
十方の仏を礼し、慈氏菩薩を念じる間、心の内に須弥山(しゅみせん、宇宙の中心)を経て兜率天に昇り、慈氏菩薩の妙法台に座り、天人たちに囲まれていました。心は歓喜に満ち、自分が祭壇にあることも賊に殺されようとしていることも忘れていました。眠っているようでした。同じ船の人々は、異口同音に啼泣しました。

絹本著色弥勒菩薩像(福井・長源寺、鎌倉時代)

そのとき、黒い風が四方より吹き、多くの木を折りました。川に高波が起こり、船は漂いました。賊たちは大いに驚き、船の人に問いました。
「この沙門はどこから来たのか。名をなんというのか」
「法を求めて支那国より来た人です。もしこの人を殺したなら、その罪は無量でしょう。風波の様子をごらんなさい。天はすでに怒っているのです」

賊はこれを聞いて悔いました。法師を揺り動かすと、法師は目を見開いて言いました。
「死ぬときが来たのですか」
賊は言いました。
「あなたを殺すことはありません。願わくは、われわれの懺悔を受けてください」
賊は礼拝しました。法師が言いました。
「殺盗の業は無間の苦を受けます。なぜ朝露のようなはかない身をもって、阿僧祇劫(あそうぎごう、永遠に近い時間)の業を造るのですか」
賊たちはこれを聞くと、頭を叩き悔い悲しんで言いました。
「われわれは今日からこの悪行を断ちます。願くは師よ、これを確認ください」
奪った衣や財を返し、五戒を受けました。そのとき風波は止まり、静かになりました。

に続く)

【原文】

巻6第6話 玄奘三蔵渡天竺伝法帰来語 第六
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【翻訳】 西村由紀子

【校正】 西村由紀子・草野真一

【協力】 草野真一

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