巻11第23話 建現光寺安置霊仏語 第廿三
今は昔、敏達天皇の御代に、河内国和泉の郡(大阪府和泉市)の前の海の沖(大阪湾)に、楽器の音がきこえました。箏・笛・琴・箜篌(くご)などの音のようでした。雷のとどろきのようでした。また、光がありました。朝日が出るようでした。昼は鳴り、夜は輝きました。しかも、東に向かって流れて行くようでした。
大部の屋栖野(大部屋栖野古)という人がこのことを天皇に奏しましたが、天皇は信じませんでした。皇后に申し上げると、栖野にこう言いました。
「そなたが行ってその光について調べなさい」
栖野は仰せを承り、行って見ると、聞いたとおり光がありました。
船に乗り、漕ぎ行って見ると、大きな楠の木が海の上に浮かんでいました。その木が光っていたのです。帰って申し上げました。
「これは霊木です。この木を使って仏像をつくりましょう」
后はこれを聞いて言いました。
「そうするがよい。すみやかに仏の像としなさい」
栖野が仰せを承って喜び、蘇我(馬子)大臣に伝えました。大臣は池辺の直水田(池辺氷田)という人に仏菩薩三体の像を造らせて、豊浦寺に安置しました。多くの人が詣で、かぎりなく恭敬し供養しました。
そのとき、守屋(物部守屋)大臣が后に申しあげました。
「仏の像を国内に置いてはなりません。遠く棄て去ってしまうべきです」
后はこれを聞くと、栖野に仏を隠すように命じました。栖野は池辺の水田に、仏を稲の中に隠させました。守屋の大臣は堂に火を放ち、仏像を取り出して、難波(大阪府)の堀江(大阪市)に流してしまいました。
しかし、もっとも大切な仏だけは、稲の中に隠したために見つかりませんでした。守屋の大臣は栖野を責めたてて言いました。
「今、国に災いの起こるのは、隣国の客神(海外の神)をまつっているためだ。早く隠した客神の像を取り出して、豊国(朝鮮半島の国)に棄て流してしまうべきだ」
しかし、栖野は決して隠した仏を取り出そうとはしませんでした。
その後、守屋は謀反の心を抱き、すきを見て王座を傾けようとしましたが、天神地祇の罸(つみ)をこうむり、用明天皇の御代、ついに討たれました。その後、隠した仏像を取り出して、世に伝えました。現在は吉野(奈良県吉野郡)の現光寺に安置しています。光を放っていた像はこれです。阿弥陀像です。窃(ひそか)に稲の中に隠したので、現光寺を窃寺(ひそでら)とも言うと語り伝えられています。
【原文】
【翻訳】 柴崎陽子
【校正】 柴崎陽子・草野真一
【解説】 草野真一
ここで吉野の現光寺と記されている寺は、現在は世尊寺と呼ばれる。海に漂っていた光る木から作り出された阿弥陀如来像を本尊とし、現在も拝観可能だ。
戦のとき仏像が「ひそかに」隠されたことから、「窃寺(ひそでら)」と呼ばれたと記述されているが、世尊寺も「比曽寺」のニックネームを持つ。
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