巻31第10話 尾張国匂経方妻事夢見語 第十
今は昔、尾張国(愛知県)に匂の経方という者がありました。通称を匂官首といいました。生活に不自由のない者でした。
経方は長年つれそっている本妻のほかに、慕っている女がありました。本妻は、それが女の習いではあるものの、しつこく別れるように言いましたが、経方は女と離れ難く思って、なんとかごまかして、忍んで女のもとに通っていました。本妻は必死にたずねまわり、「経方が女のところに行った」と聞くと、顔色も表情も変わって、正気を失ったように妬み狂いました。
あるとき、経方は京に上がるべき大事な仕事があって、何日かかけて出かける準備をしていたことがありました。明日出かける日の晩、強く思いました。
「あの女のところに行きたい」
本妻がひどく妬んで面倒なことになりますから、正直には言いませんでした。「国府に召された」と嘘をついて、女のもとに行ったのです。
経方は女と寝物語などしているうちに、寝入ってしまいました。夢を見ました。本妻がとつぜん入ってきて言いました。
「あらアナタ、こういうふうに二人で寝るようになってずいぶん経つのでしょう。やましいことはないなんてよく言えたわね」
本妻はとても言葉にはできないようなさまざまなことをわめきたて、二人が寝ている間に入って騒ぎたてました。そこで目が覚めました。
その後、怖しく気味が悪く思って、急いで飛び出し家に帰りました。夜が明けて、京に上がる準備をしていました。
「今夜は国府の官舎(国司の御館)でいろいろしなければならない仕事があって、退出することができなかった。ろくに寝ていないから、とても疲れたよ」
そう言いながら、本妻のそばに座りました。
本妻は「早くめしあがれ」と言いました。髪が、一度サッと立ち上がり、またサッと倒れました。経方が「なんと怪しく怖しいことだ」と思って見ていると、本妻が言いました。
「あなたはなんて面の皮の厚い人でしょう。女のところに行って、二人で抱き合って愛しあった顔のままですよ」
「誰がそんなことを言ったのだ」
「憎たらしい。私は夢で見たんです」
経方は怪しく思って、「何を見たのか」と問いました。妻は答えました。
「昨日あなたが出かけるとき、『きっと女のところへ行くのだ』と思いました。夢であの女のところをたずねてみると、あなたは女と二人で横になって、いろんなことを話していました。私は『ここに来るとは言ってなかったですよね。二人で横になっているなんて!』と言いながら二人を引き離しました。あなたも女も大騒ぎをしていました」
経方は気味悪く思って、「そのとき俺は何と言ったのだ」と問いました。すると、本妻は経方が女の家で言ったことを、ひとことももらさずすらすらと答えました。それは経方が夢に見たこととまったく異なりませんでした。経方は怖しいどころの騒ぎではありません。あきれかえるしかありませんでした。しかし、自分が同じ夢を見ていたことは本妻には語りませんでした。後にしたしい人に会ったときに「こういう不思議なことがあった」と語ったのです。
心に強く思うことは、必ず見えるものです。「嫉妬は罪深い。妻の次の生は蛇だろう」と、人が言ったと語り伝えられています。
【原文】
【翻訳】 草野真一
【解説】 草野真一
「二人同時に同じ夢を見る」は森鴎外の『山椒大夫』でも描かれている。
『山椒大夫』も平安後期の話だというから、ほぼ同じ時期の話だと考えていい。
とはいえ、この話は『山椒大夫』のようなイイ話ではない。
この時代は一夫多妻が基本であり、身分が高いほどそれが可能だったから、女が複数あることは男の権力の大きさを証立てるものである。誇るべきこと、であるはず、なのだが……。
当事者はなかなかそうは考えられなかったようだ。


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