巻六第三十五話 さとりを求めて旅する善財童子に救われた男の話

巻六(全)

巻6第35話 孫宣徳書写花厳経語 第卅五

今は昔、震旦(中国)の唐の時代、朝散大夫(名誉職の役人)孫宣徳という人がありました。永安県の人です。

因縁があったのでしょう、宣徳は願を発して華厳経を書写しようとしました。しかし、不信ゆえにこのことを忘れてしまいました。もともと悪業のかぎりを尽くしてきた男でした。

ある日、宣徳は狩に出て落馬し、悶絶して死にました。一日後に蘇生し、泣き悲しんで過ちを悔いました。こう語りました。

「死んだとき、一人の冥官がやってきて、私を追い立て、大きな城の前に連れてきた。見れば、五道大臣が列していて、中央に閻魔王が座っている。王は言った。『おまえはたいへんな愚痴であり、悪を造ることを仕事にしていた。おまえに殺された鳥獣たちから訴えがあり、おまえを召すことになったのだ』と。庭を見ると、私が殺した鳥獣が、百千万も集まって、王に向かってそれぞれが命を奪われたことを語った。王はこれを聞くと、ますますお怒りになった」

「そのとき、一人の童子があらわれ、みずから善財童子と名乗り、王の前に立った。王は童子を見て畏り、座より下りて合掌して、童子に向き合った。童子が言った。『すみやかに宣徳を放免しなさい。彼はかつて華厳経を書写しようと願を発した。しかし、未だその願は遂げられていない』。王が答えた。『宣徳は願を発したけれども、不信にしてその願を忘てしまいました』。童子は言った。『宣徳が願を発した時には、不信の心はなかった。どうして後の悪をもって、前の善を捨ててしまうのだ』。王はこれを聞くと、歓喜して言った。「まさにそのとおりです。すみやかに宣徳を放ち還します』」

善財童子立像(快慶 12世紀 奈良県桜井市安倍文殊院 国宝)

「そのとき、童子は私に還る道を教えてくださった。これによって、私は再び生きることができたのだ。華厳経の功徳は不可思議なものだ」

宣徳は泣く泣く忘れた過を悔い悲しみ、たちまちに華厳経を書写しました。親友に向かって語りました。
「私は既に華厳経を書写し終えている。私は兜率天に生まれ、慈氏菩薩(弥勒菩薩)に仕えるだろう」

宣徳は齢八十六で亡くなりました。まさに華厳経の功徳は不可思議であると語り伝えられています。

【原文】

巻6第35話 孫宣徳書写花厳経語 第卅五
今昔物語集 巻6第35話 孫宣徳書写花厳経語 第卅五 今昔、震旦の唐の代に、朝散大夫孫の宣徳と云ふ人有けり。永安県の人也。 宣徳、因縁有るに依て、願を発して、華厳経を書き奉らむと為る間、事に触れて、不信にして此の事を忘れぬ。宣徳、本より悪業として、造らざる事無し。

【翻訳】 西村由紀子

【校正】 西村由紀子・草野真一

【解説】 西村由紀子

善財童子(スダナ王子)とは、『華厳経』の入法界品(品は章という意味)の主人公である。53人の善知識をたずね、さとりについて問う。快慶作のみごとな像が安倍文殊院に伝えられているほか、東海道が五十三次(53の宿場)から成るのもここに由来している。

『入法界品』(貝葉経) 11世紀-12世紀頃 インド東部 クリーブランド美術館

善財童子がたずねた善知識には、富豪や王、職人などのほか、(仏を守護する存在と考えられた)土着の天神、地神、夜神があり、ヒンドゥーで信仰されるクリシュナ(マハーデーヴァ)が重要な役割を果たしている。遊女もいる。善財童子に旅を勧めるのは文殊菩薩であり、最後に至るのは普賢菩薩である。

教えを乞う善財童子(11世紀-12世紀 ネパール)

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