巻2第39話 天竺利群史比丘語 第(卅九)
今は昔、天竺(インド)に利群史という比丘(僧)がありました。この人は在家(出家する前)のときにも、衣食に乏しく貧しかったのですが、比丘になっても、さらに衣食を得ることができませんでした。
ある塔に籠っていたとき、ようやくわずかに食を得ることができたのですが、食べることができませんでした。七日間食べず、もうすぐで餓死というときが来ました。仏のの御弟子である須菩提(スブーティ)・目連(モッガラーナ)・阿難(アーナンダ)などが毎日やってきて、食を与えようとしましたが、いつもうまくいかず、食べることができませんでした。食べられなくなって十日が経ちました。
それを見ていた目連は、鉢に食を入れて持ってきました。しかし、塔の戸は固く閉まって開きません。目連は神通力で鉢を抱きながら鍵穴から入り、飯を比丘に与えようとしました。比丘は喜んで鉢を取ったのですが、そのとき鉢が手よりすべり落ちて、地の下500由旬(ヨージャナ、気が遠くなるほど深い)に落ちてしまいました。目連はふたたび神通力をもちいて、腕を伸ばして鉢を取り出し、これを与えました。比丘がこれを食べようとすると、とつぜん比丘の口が閉じ、開くことができませんでした。結局、食べることはできませんでした。
目連は利群史とともに、仏の御許に詣でてたずねました。
「利群史はなぜこのように食を得ることができないのですか」
仏は答えました。
「知っておきなさい。この比丘は前世に母があった。母が沙門(修行者)に物を施すのを見て、子はひどく財を惜しみ、母を土蔵に閉じ込めて、食を与えなかった。母は飢えて死んだ。それが今の利群史である。このため、食を得ることができないのだ。しかし、亡くなった父母のために功徳を修したために、今、私のところに来て、私の弟子となり、果を得たのである」
そう説いたと語り伝えられています。
【原文】
【翻訳】 草野真一



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