巻二十四第十八話 陰陽の術で人を殺す話

巻二十四

巻24第18話 以陰陽術殺人語 第十八

今は昔、主計頭(かずえのかみ)※1で、小槻糸平(おつきのいとひら)という者がおりました。その子に算の先生(さんのせんじょう)と呼ばれている男がおりました。名を茂助(もちすけ)と言いました。主計頭忠臣(ただおみ)の父で、淡路守大夫(あわじのかみたいふ)の史(さかん)奉親(ともちか)の祖父にあたります。
その茂助がまだ若かったときに、聡明で世に並ぶものもいないほどありましたので、このまま年齢を重ねれば貴い者になるであろうと言われていましたので、同輩の中には、「どうにかしてこの男を亡き者にすることはできないだろうか。此奴(こやつ)が出世したら、主計寮(かずえりょう)や主税寮の頭(かみ)や助(すけ)にも、大夫史(たゆうのつかさ)にもなるだろうから、誰も競争相手にはならないだろう。代々こういう方面に携わってきた家系であったばかりでなく、このように聡明で心正しい者だから、いまはただ六位ながら、世間にも知られ、評判も高くなっていくだろう。こんな男はいない方がいい」と思う人もいるにはいたそうです。

そうしているうちに、あの茂助の家に、不思議なお告げがあったので、当時の有名な陰陽師に尋ねたところ、極めて厳重に慎むべきだという風に占いました。その慎まなければならない日々を書き出して渡したので、その日は、門を堅く閉ざして、物忌みしておりましたところに、彼を敵視していた男がお告げのことを知り、力あるもぐりの陰陽師とよく相談して、茂助が必ず死ぬであろう術をかけさせました。

この術をかけることになった陰陽師は、「彼が物忌をしている日は、他の陰陽師がつつしむように指定した日なのでしょう。そうであれば、その日に咀(のろ)いを合わせれば験(しるし)があるはずです。その日に私を連れてその家にお出かけになり、彼をお呼びください。門は、物忌中ですからよもや開けますまい。ただ、返事をすれば道がつながり、必ず咀(のろ)いの験(しるし)はありましょう。」と言いました。

そこで、その男は陰陽師を連れて彼の家に行き、門を激しく叩きましたところ、下人が出てきて「だれがこの御門を叩いているのです?」と聞きました。「それがし、大切に申し上げたいことがあって参りました。極めて厳重に物忌とはいえ、門を細目に開けてお入れください。たいそう大切な用事です」と言って取り次がせると、この下人は家の中に戻り、事の次第を茂助に伝えました。茂助は、「無理なことです。世の中で我が身を大事に思わない者がいましょうか。門を開けて入れることはできません。すぐにお引取りください」と返事をさせましたが、男は「それでは門はお開けくださらずとも、その引き戸からお顔をお出しください。下人を介さず直接、お話しましょう」と伝えてきました。

この時、天が認めて死ぬべき宿世がつながったのでしょうか、茂助は「何の用です?」と言って引き戸から顔を差し出してしまいました。陰陽師はその声を聞き、顔を見て、ありとあらゆる死に至る呪詛を、秘術を尽くして行いました。陰陽師を連れてきて会いたいと言った男は、「極めて大事な用件を話したい」と言っていたのに、言うべきことも思いつかなかったので、
「只今から田舎に行きます。そのことを申し上げようと思って伺いました。どうぞ中へお入れください」と言いました。茂助は、
「大した用件でもないのに、物忌中にこのように人を呼び出すとはなんと分別のない人だ」と言って家の中に入りました。その夜より頭が痛くなり苦しみ、三日という間に死んでしまいました。

思いますに、物忌の時は、大声を出して人に知られてはなりませんし、また、外から来た人に絶対に会ってはなりません。このような術を行う人※2が、呪詛することもありますので、じつに恐ろしいことです。前世からの報いとはいいますが、よくつつしまなければならぬと、このように語り伝えているということです。

江戸時代初期の絵本『たまものまへ』より、算木で占いを行う陰陽師(京都大学附属図書館)

【原文】

巻24第18話 以陰陽術殺人語 第十八
今昔物語集 巻24第18話 以陰陽術殺人語 第十八 今昔、主計頭にて小槻の糸平と云ふ者有けり。其の子に算の先生なる者有けり。名をば□□となむ云ける。主計頭忠臣が父、淡路守大夫の史泰親

【翻訳】 松元智宏

【校正】 松元智宏・草野真一

【協力】 草野真一

【解説】 松元智宏

※1 主計頭…主計寮の長官。民部省所管で、税収の計算と国費の会計を管理する役所。主計寮は、頭、助、允、属、算師などからなる。
※2 「宇治拾遺物語」第122話(巻10・第9話)「小槻当平の事」では、陰陽師に依頼した人も間もなく死んだと記している。
古文「さて、其のろひごとせさせし人も、いくほどなくて、殃(わざはひ)にあひて、しにけりとぞ。『身に負ひけるにや。あさましき事なり』となん人のかたりし。」
現代語訳「だが茂助を呪詛させた人も、いくらもしないうちに災いに遭い、死んだらしい。『罪を負ったのだ。あさましいことではないか』そう人々は語り合ったという。」
(宇治拾遺物語 現代語訳ブログ より引用)

宇治拾遺物語 現代語訳ブログ
宇治拾遺物語の現代語訳を、 せっせと載せて行こうとするブログです。

この物語について

平安時代の人々は物忌(ものいみ)といって、家に閉じ籠り、飲食や行為を慎み、日の共有を避け、大声で話すことをつつしみ、身心を清めることで悪事の起こることを避けようとしました。これは陰陽道の禁忌に基づくものです。期間中は入り口に忌みの札をつけて生活します。この物語は、物忌を守らないとどうなるか、という教訓を伝える働きをもっていたと考えられます。
また、本話では二十四巻に散見される算術に関する人物が登場している点でも興味深いです。日本では、算術が学問として発展しなかったため、呪術として人々に怖れ嫌悪されていました。算術士は天文博士、陰陽師などと兼任することが多かったようです。すらすらと計算する様子が呪術めいて見えたのでしょうか。例えば、陰陽師として有名な安倍晴明も晩年主計寮に異動し主計権助の任につきます。また、晴明の兄弟子に賀茂保憲(かものやすのり)がいますが、この人も主計頭を務めています。(余談ですが、マンガ『呪術廻戦』の登場人物、加茂憲倫(かものりとし)はこの賀茂保憲の子孫だと考えられます。)

つまり、この話は、将来有望な陰陽師の卵をもぐりの陰陽師が全力で潰しにかかった話、と読むこともできます。「陰陽師、其の音を聞き、顔を見て、死すべき態を為べき限り咀ひつ。」の一文に表れている殺意など、並々ならぬものがあります。今昔物語の登場人物は、近代以降の人間のようにあれこれ思い悩むという心理というものが存在せず、じゃま、即、殺す、というある意味実直でタフな原理で行動します。説明も省かれているので、依頼されたとはいえなぜそこまで徹底して呪い殺すのかは読者の想像に自由の幅が残されています。本来、このように想像して論理付けて解釈することも、無粋なのかもしれません。
なお、日本の数学が「和算」として再び学問として復活するのは、近世初期の『塵劫記』の時代以後のことです。興味をもたれた方は「和算ナビ」 などを一度ご覧になるといいでしょう。

wasan.info

また、ベストセラーにもなった『天地明察』冲方丁には、江戸時代の天文博士、算術が描かれています。

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【参考文献】
新編日本古典文学全集『今昔物語集 ③』(小学館)

この話をさらに読みやすく現代小説訳したものはこちら

現代小説訳「今昔物語」【算博士VS陰陽師】巻二十四第十八話 陰陽の術を以て人を殺すこと 24-18|好転する兎@古典の世界をくるくる遊ぶ
 今も昔も、才能ある同僚の出世を妬む話はよく聞くものでございます。或いは、若手の台頭を古参が邪魔をするという話も。ここに登場しますは将来を嘱望される算博士。行く行くは頭に、と言われておりましたが…  九々之数行を使ってもこの大算剰除は解けそうにもなかった。偶数の法印と奇数の法印が組み合わされており、割り切れないのだ。...

 

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