巻14第1話 為救無空律師枇杷大臣写法花語 第一
今は昔、比叡の山に無空律師という人がありました。幼くして山に入り、出家して後は、戒を破ることはありませんでした。心は正直であり、道心が深かったので、僧綱の位にまでなりましたが、ついに現世の栄誉や名声を捨て、後世の菩提だけを願うようになりました。山に籠もり、ひたすら念仏を唱えることを業として、怠ることはありませんでした。これが一生の間の勤めでした。また、常に衣食に乏しく、頼りにする人もありませんでした。まして、僧坊には一塵の貯えすらありませんでした。
あるとき、律師は、一万の銭を得ることがありました。そのとき、律師は思いました。
「私が死んだとき、弟子たちは(葬式その他で)困るにちがいない。この銭は、人に知らせず隠しておいて、没後に使ってもらおう。臨終のときに弟子たちに告げよう」
房の天井の上に、ひそかに隠しておきました。弟子たちはこのことを知りませんでした。
やがて、律師は身に病を受け、闘病の生活に入りましたが、銭を隠したことを忘れ、弟子たちに知らせずに亡くなりました。
そのころ、枇杷の大臣という人がありました。名を(藤原)仲平といいます。この人はかの律師と年来、師と檀那(信者)としてとても親しく交際し、すべてにおいて頼りにしておりました。律師を失ったことを、ことのほか嘆いていました。
大臣は夢を見ました。律師があらわれました。汚れた衣服をまとい、ずいぶんやつれています。
「私は生きていたとき、ひたすらに念仏を唱えることを業としていた。必ず極楽に生まれるだろうと思っていた。しかし、私には貯えがなかったので、『没後に弟子たちが困るだろう』と考え、一万の銭を没後の料として、房の天井の上に隠しておいた。死ぬときになったら、弟子たちに知らせよう。そう思っていたのだ。ところが、病をわずらっている間、そのことを忘れ、告げずに死んだ。今なおそのことを知る人はない。私はその罪によって、蛇の身を受け、銭のところにあり、はかりしれない苦を受けている。私は生きているとき、あなたと親しくしていた。願わくは、かの銭を取り、法華経を書写供養して私を苦から救ってほしい」
大臣は目覚めると嘆き悲しみ、使いを出さず自ら比叡の山に登り、律師の房をたずねました。天井の上を見させると、まさに夢の告のとおり、銭がありました。しかも、その銭を守るように、銭をまとって蛇がいたのです。蛇は人を見て逃げ去りました。大臣が房にある弟子たちに、この夢の告の話を告げると、弟子たちはかぎりなく泣き、悲しみました。
大臣は京に戻ると、すぐにこの銭をつかい、法華経一部を書写し供養しました。ほどなくして、大臣の夢に、律師があざやかな法服をまとい、手に香炉をもってあらわれました。
「私はあなたの恩徳によって、蛇道を免れることができた。年来の念仏の力によって、今は極楽にある」
律師はそう言って西(浄土の方向)に向かって飛び去りました。
その後、大臣はこのことを喜び貴び、世間に語りました。それが聞き継がれ、語り伝えられています。
【原文】
【翻訳】 草野真一
【解説】草野真一
大臣は師の財産を得たはずなのに、写経なんてお金のかからないことをしてるのはどうしてだろうという疑問をいただきました。
ここは、現代と平安末期、もっとも常識が異なる点のひとつでしょう。
当時、紙はたいへん高価なものでした。したがって、大部のお経を書写するのは、相当な財産がなければできないことだったのです。さらに、写経とは釈尊の言葉を書き記すことですから、用紙は最上に近いものでなくてはなりませんでした。写経は誰でもできるものではなかったのです。
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