巻27第41話 高陽川狐変女乗馬尻語 第四十一
今は昔、仁和寺(にんなじ、*1)の東に高陽川(こうやがわ、*2)という川がありました。その川原には夕方になると、若くて見目麗しい女童(めのわらは、*3)が立っていて、馬に乗って京の方へ行く人が通り過ぎると、その女童は、「その馬の後ろに乗せて京へ連れて行って下さい」と言いました。馬に乗った人が「乗りなさい」と言って乗せると、四、五町(約400~500メートル)ほど行ったところで突然馬から跳び下りて逃げ去ります。それを追うと狐の姿になってコンコンと鳴いて走り去るのでした。
こんなことが何度もあったと噂になると、瀧口(たきぐち、*4)の本所に詰めていた侍達の話題に上りました。その高陽川の女童が馬の後ろに乗るということを聞くと、一人の若くて勇気も思慮分別もある瀧口が、「俺はその女童を必ず捕らえてご覧にいれよう。これまでの人はヘマをやったから逃げられたのだ」と言いました。はやり立った瀧口達はこれを聞いて、「捕らえられるものかよ」と言ったので、この捕らえると言った瀧口は、「それなら、明日の夜に必ず捕らえて連れてきて見せよう」と言いました。その他の瀧口達は言い出したことなので、「捕まえられっこない」と言い争ったので、その瀧口は翌日の夜に誰も連れないで一人で馬の逸物に乗って高陽川を渡りました。女童を見かけることはできませんでした。
それから京の方へ引き返して行くと、女童が立っていました。瀧口が通り過ぎるのを見て女童は、「その馬の後ろに乗っけて下さい」と微笑んで言いました。その様子は愛らしく感じられました。瀧口が、「早く乗れ、どこへ行くのだ」と聞くと、女童は、「京へ行くのですが、日が暮れてしまったので、あなた様の馬の後ろに乗って行こうと思いました」と言ったのですぐに乗せました。乗せている間に瀧口は前から仕組んでいたことなので、指縄(さしなわ、*5)で女童の腰を鞍に結わえ付けました。
女童が「どうしてこんなことを致します」と言うと、瀧口は、「今夜、連れて行って抱いて寝てしまおうというのだ、逃げられるかもしれないと思ってな」と言って連れて行きました。すでに暗くなっていました。
一条大路の東、西の大宮大路を過ぎてみると、東から松明の火が大いに燃え列をなし、牛車が連なって先払いの声を上げていました。瀧口は、「高貴なお方がいらっしゃったのだろうか」と思って引き返して西の大宮大路を下って二条大路まで行き、二条大路から東に行き、東の大宮大路から土御門大路まで行きました。前もって従者達に、「土御門の門で待っていろ」と言い置いて来たので、到着すると、「従者達、いるか」と尋ねると、「皆参っております」と言って、十人くらい出てきました。
その時、女童を結わえ付けていた指縄を解いて放り、女童の腕を掴んで門に入り、火を灯させて本所(瀧口の詰め所)に連れていくと、同僚が揃って待っていました。
「どうだった」と口々に問われるので、「ここに捕らえてきた」と答えました。女童は泣いて、「もう許してください。皆さんがいらっしゃるのですから」と戸惑い謝りましたが許されないで連れて行かれました。
瀧口達は皆出てきて立ち並んで女童を囲むと、火を明るく灯して、「この中に放せ」と言うので、この瀧口は、「逃げてしまうだろうが、放さんよ」と言うのを、皆は弓矢を番(つが)えて「放せ、面白いことになる。その腰を射てやろう。一人なら外しもしようが、十人もいればよもや外しもしまい」と言って、十人程が矢を番えて女童に向けたので、この瀧口は「それなら」と言って放しました。その時、女童は狐になってコンコンと鳴いて逃げました。立ち並んでいた瀧口達は、皆掻き消すように消えうせました。火も消えて周囲は真っ暗闇になりました。
瀧口は慌てて従者達を呼びましたが、一人もいませんでした。見渡してみると、どことも分からない野中にいて、心は戸惑って心中穏やかでなく、恐ろしいなんてものではありませんでした。生きた心地もしなかったけれど、何とか堪えてやっとのことで周囲を見回してみると、山の中のように見え、鳥野辺(とりのべ、*6)の辺りにいたのでした。土御門で馬から下りたと思っていたのに、馬も何もなくなっていました。
瀧口は、「なんてことだ、西の宮から来たと思ったのに、こんな所に来ていたとは。一条大路に火を灯して会った狐が□」と思いました。そのままでいる訳にもいかないので、徒歩でやっとの思いで帰ると、夜半くらいに家に着きました。
翌日、瀧口は気持ちが乱れて死んだ様になって臥せっていました。他の瀧口達は昨夜、待っていたのに瀧口が帰って来なかったので、「例の御仁が、『高陽川の狐を捕らえてやる』と言ったのはどうしたのやら」と口々に笑いました。使いをやって呼ぶと、三日後の夕方に大病を患った様子で本所に現れました。
瀧口達が「あの晩の狐はどうした」と聞くと、この瀧口は、「あの晩は耐え難い病気に罹ってしまって行けなかったのだ。だから今夜こそ試してやる」と答えました。瀧口達は、「今度は二匹捕まえて来い」とあざ笑ったけれど、この瀧口はそうそうものも言わないで出て行きました。内心、「この前ははじめ、狐の方が騙されていたのだから、今晩はまさか出てこないだろう。もし出てきたら、一晩中でも縛り付けて放しなどするものか。気を許して放してしまうと、また前のように逃がしてしまうだろうから。もし出てこなかったら、長いこと本所へは顔出ししないで籠居しよう」と思って、今晩は選りすぐって強い従者達を連れて馬に乗り、高陽川に行きました。
「益体もないことで身を亡ぼそうとでもしているようだ」と思ったけれど、自分で言い出したことなのでこうするしかありませんでした。
高陽川を渡ると、女童は現れませんでした。引き返してみると、川原に女童が立っていて、この前の女童とは顔が違いました。前の様に、「馬の後ろに乗りたいのです」と言うので、乗せました。前の様に指縄で女童を鞍に強く縛り付けて京の一条大路へ帰ると、暗くなったので、多数の従者達に、ある者は前で火を灯させて、ある者は馬の傍に立たせて、慌てないで先払いの声を高く張り上げて馬を進めた所、誰にも出逢いませんでした。土御門大路で馬を下り、女童の髪を引っ掴んで本所に連れて行くと、女童は泣いて嫌がりました。
瀧口達が、「どうしたどうした」と聞いたので、「ここに連れてきたぞ」と答えました。、今度は強く縛り付けて引っ張ってきたので、しばらくは人の姿をしていたのも、酷く責め立てられたので、遂に狐の姿を現しました。松明の火で毛がなくなるまで焼いて、何度も射て、「今後二度とこんな真似をするな」と言って、殺さないで放した所、狐は歩けなかったけれど、しばらくしてからやっと走って逃げました。
この瀧口は前は騙されて鳥野辺に行ってしまったことを瀧口達に詳しく話しました。
その後、十日程経って、この瀧口は、「もう一度試してみよう」と思って馬に乗って高陽川へ行ってみると、前の女童が重い病に罹ったような様子で川原に立っていたので、瀧口は前のように、「この馬の後ろに乗れよ、お譲ちゃん」と言うと、女童は、「乗りたいのですけれど、焼かれたのが耐えられないのです」と言って消え失せました。
人を騙すくらいのことで、こうも辛い目に会った狐です。このことは最近の事件ですが、珍しいことなので語り伝えられています。
このことを思うと、狐が人に化けることは昔から当たり前のことなのです。瀧口は騙されて鳥野辺まで連れて行かれたのです。何度も騙されれば牛車もなくて道も間違えないだろうに、人の心に合わせて色々と行動したのだろうと、人は疑ったと語り伝えています。
【原文】
【翻訳】 長谷部健太
【校正】 長谷部健太・草野真一
【協力】草野真一
【解説】長谷部健太
*1…仁和四年(888年)に創建された寺で、代々の法親王(仏門に入った親王)が入る門跡(もんせき)寺院。広大な領域を誇る。御室(みむろ)ともいう。
*2…紙屋川、仁和寺川とも呼ばれた。現在は天神川と呼ばれる。
*3…女の子、少女。
*4…天皇が普段いる場所である清涼殿、そこの北東にある瀧口所に詰めた武士で、警備や雑役に当たった。
*5…馬をつないでおく縄。小口縄、指綱ともいう。
*6…古代、葬送の場所として知られた。
【参考文献】
日本古典文学大系『今昔物語集 四』(岩波書店)
『今昔物語集 本朝世俗篇(下)全現代語訳』(講談社学術文庫)







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